〜リシアの日記〜

 窓際の机の上に、赤い皮表紙のリシアの日記が置いてある。不用心なことに、開いたままだ。悪戯な風がそのページを数枚、ひらひらとめくる。
 蝶が一匹風に乗って部屋に飛び込んできた。艶やかな蝶である。蝶は休息地を求め、日記のすぐ近くにあるインク壺の上に止まった。
 羽を折り畳んだ蝶の複眼には、歪んだこんな文字の羅列が映っていた。

○月×日 晴れ
今日は一日リーザと一緒。編み物を習った。
編み物は割と好き。おしゃべりしながらできるもん。
でもね、下手だからまたがたがたになっちゃった。
いつか上手くなるよね?
上手くなったら、兄様と父様に腹巻き編んであげよう。

○月□日 曇り
兄様がニィ国に外交に出かけた。私は外国なんて行った
ことないのにな。お土産頼んだ。ニィ国名物、かかとの
低い靴。歩きやすいんだって。
そういえば、今日は水ひっくりかえして、タペストリー
濡らしちゃった。リーザに怒られた。

○月△日 晴れ
父様が風邪ひいた。ぐしゅぐしゅいってる。
王様がぐしゅぐしゅ言ってるのって、何だか変。
早く治してねと言ったら、ぎゅっとされた。
父様の髭はざりざりして痛い。
鼻水つかないかちょっと心配した。

○月☆日 曇りのち晴れ
父様の風邪、ちょっと良くなった。周りの人もちょっと
風邪ひいてる。リシアには移らない。なんでだろう?
リーザが、「おバカは風邪をひかないんですよう」って
言った。どこかの賢者が言ったらしい。もう。
リーザだって風邪ひいてない。




 ぱたぱた、と足音がして、青銀の髪をした少女が慌てて部屋に駆け込んできた。
「やだなあ、もう。日記あんなところに置いてたら、誰かに見られちゃうよぉ」
 リシアの目に、彼女の目と同じ色の、鮮やかな青い蝶が飛び込んできた。
「あっ、蝶! 綺麗……」
 蝶はリシアの気配を感じ、インク壺の上から離れ、あっと言う間にまた風に乗って外へ出ていってしまった。
「あーあ、行っちゃった」
 リシアは惜しそうに蝶の去った空を見つめた。
 それから、思い出したようにはっとして、日記をぱたんと閉じる。大事そうにリシアは日記をベッドの下に隠した。
「ちょうちょには見られちゃったけど、まあいいか」
 口に手を当てくすりと笑って、リシアはまた足音も軽く部屋を出ていった。
 それは彼女が、ルイシェと出会う前の、何気ない出来事。
 蝶だけが、リシアの日記の中身を知っている。