「あれえ? ミリア様、御存知じゃなかったですか?」
「あっ、ルルゥ、そういえばセリス様とテイル様が仲良くなったのって、ミリア様が傭兵なさってからじゃあなかった?」
「うん、そうだったかも。ルルゥとリリィはまだ小さかったよね?」
 確認しあう二人の横で、ミリアの胸に、忘れたかった、忘れられない昔が甦った。いつも強気な表情が、ふうっと苦しそうに歪められる。
 自分より天性の剣筋を持つテイルが、男であるテイルが羨ましくて、殊更厳しく稽古をつけた日々。虐待に近い程の稽古に、自己嫌悪に陥る自分を、いつも慰めてくれたのは、銀色の髪をした青年だった。
 クァールという口の悪い男で、セリスという弟がいると言っていた。同じ剣の師匠についていた、強い武人だった。ミリアにとって初恋の人であり、生涯忘れえぬ、この世にはもういない人。
 脳裏に、彼の鮮やかな笑顔が甦る。
 忘れたかった、懐かしい思い出……。
「クァールの弟か。やっぱり、血は争えないね……」
 声にならぬ声が、唇を震わせる。多分、テイルもセリスも自分とクァールが知り合いだったことは知らないだろう。それなのに、今二人は仲がいいという。切なく、悲しかった。
「? ミリア様、何を仰ってるの?」
 リリィが首を傾げてミリアに尋ねる。
 ハッと現実に立ち戻ったミリアは、感傷を振り切るかのように首を横に振った。
「何でもないよ。ちょっとね、昔なじみを思い出しただけさ。ところでテイルのお茶はまだかい? 本当に、いつまでもトロい子だねえ」
 その声は、廊下まで来ていたテイルの耳にばっちり届いていたようだった。
 すぐに、苦々しい顔をしたテイルが部屋に入ってくる。手にはしっかりと、四人分のお茶を乗せた盆が乗せられている。
「……ちゃんと持ってきましたよ。お茶の抽出時間を考えなければもっと早かったかもしれませんが、姉上、薄いお茶はお嫌いでしょうに」
 皮肉を込めて言った弟に、ミリアはにっこりと笑顔を向けた。
「ああ、言い忘れてたっけ。今は、濃いお茶は身体が受け付けないんだ。悪いけど、入れ直しておくれ」
 そのミリアの言葉に、テイルは入れ直して、という屈辱の一言があるのも気づかず、驚いて叫んだ。
「姉上でも体調がおかしくなることなんか、あるんですかっ?」
 ゴン、といい音がして、ミリアの鉄拳がテイルの頭に飛んだ。余りの痛さに、「くぅ」と小さな声をあげてうずくまるテイル。
「失礼な男だね。だからもてないんだよ」
 涙を滲ませながら、テイルは姉をちらりと眺めた。どうみても健康そのもので、身体が悪いようにはとても見えない。
 しかし、女性であるリリィとルルゥは、すぐにピンと来たらしく、頬を紅潮させて叫んだ。
「まあっ、ミリア様! おめでとうございます!」
「女の子かしら、男の子かしら?」
 いくら鈍いテイルにも、この言葉が何を意味するのかは流石にわかった。驚いて、大声をあげる。
「えっ、姉上、ご懐妊ですかっ?」
 ゴン。また、凄い勢いで殴られた。再び床と友達になるテイル。
「気づくのが遅い!」
 痛みにのたうつテイルを無視して、双子の侍女はミリアの側できゃわきゃわと騒ぎ始めた。
「お世継ぎ様かしら。お姫様かしら。今から楽しみ!」
「ニィ国にとっても、我が国にとっても喜ばしい出来事です! 王様はさぞお喜びでしょう?」
 ミリアは手を大きく振って、呆れたように言った。
「まだ、無事に生まれるかはわからないから、そんなに騒がないでおくれ。他の人に言ったりしてはいけないよ」
 釘を刺されて、双子はつまらなそうに「はーい」という返事をする。
 痛みを堪え、再び立ち上がったテイルは姉の拳が届かない範囲に逃げてから、テイルは聞こえないように呟いた。
「一国の王妃がこんなんじゃ、ニィ国民も本当に大変だよ……」
 そのテイルに、ミリアが声をかけた。
「それよりもさ、あんた、セリスと仲がいいんだって? 今日初めて聞いたよ」
 テイルは少し驚いた。もうとっくに、そんなことは姉が知っていると思っていたからだ。姉が家を離れてからの時間の長さに思い至って、ようやく納得がいく。
「仲がいい……というか、殆ど腐れ縁のようなものですが。セリスが何か?」
「いや……これからも仲良くするんだよ」
 このようなことを殆ど口にしたことがないテイルは、心底驚いて呆然とし、姉の口がその後、「あたしの分もね……」と声も出さずに動いたことは気づきもしなかった。
「さあ、テイル、いつまでぼやぼやしているんだい? 薄いお茶だよ。薄いと言っても、お茶の味がしなかったらお茶じゃないからね。さあ、早く!」
 ミリアに睨み付けられ、テイルは再び重い腰を上げることになった。ルルゥとリリィはひらひらと手を振って、「頑張って」などと呑気に言っている。
(くそっ、女なんて……)
 心の中で呟く。テイルは姉の弱みを握ることができるかもしれなかった唯一のチャンスを逃してしまったことには全く気づかずに、盆を握りしめて再び厨房に向かったのであった。