〜少年の夢〜

 少年の父は、腕の良い防具屋だった。たまに城に呼ばれ、仕事をこなす。エルス国は平和な国ゆえに、輸出用の防具を作ることが殆どであったが、お城の警備兵の防具を作ることを何よりもの誇りとしている職人であった。少年は、警備兵を一目見たくて、城に無理を言って連れてきてもらったのだ。ところが、複雑な城内に見とれている間に、少年は迷子になった。
 少年は、少女のことを知らなかった。どこからか突然現れた大分年下のその少女はにっこり笑って「遊ぼ」とだけ言った。
 怖くて、泣いていた少年は、びっくりして泣きやんだ。子供がいるなんて思ってもいなかったからだ。この少女より大きいのに泣いていたことを見られて、少年は恥ずかしくなった。が、少女はそのことを気にしている様子はなかった。だから、少年はこくりと頷いた。
 少年は、少女と追いかけっこをした。お城の中の内緒の場所も連れていってもらった。少女は城内のことなら、何でも知っているようだった。
 少年は、不安だったこともすっかり忘れて夢のようなひとときに酔いしれた。
 きらきら輝く少女の青銀の髪を、少年はとても綺麗だと思った。誉めると、少女は照れ臭そうに俯いた。そして、少年の焦げ茶色の癖毛も素敵、と笑った。
「ねえ、あなた、ここに住んでるの?」
 少女が聞いてきたので、少年は首を横に振った。少女はひどく悲しそうな顔をする。
「そうなの……私は、ここに住んでるの。ここ、子供少ないんだ」
 少年は、一生懸命に、また遊びに来ることを少女に誓った。少女の笑みが見たくて。
 思った通り、少女は、本当に嬉しそうに笑顔を見せたのだった。少年は、胸が暖かくなる。
 しばらくして、少年を呼ぶ父の声が、少年の耳に届いた。
「パパ、ここだよ」
 少年は、父に応えた。
 飛んできた父は、少女を見ると驚愕の表情を浮かべ、いきなり床に座り込み土下座をした。少年もならわせられる。少年は、訳がわからず、いやいやをした。
「リシア様、申し訳ございませんでした」
 父が言った少女の名前を聞いて、初めて少年は、少女の正体を知った。
 この国の、王女である。
 少年は、余りのことに目の前が真っ白になった。神様はひどいことをする、と思った。
「そんなことしないで」
 リシアは、困ったように一生懸命引っ張って、少年と父を立たせた。それでも詫びの言葉を連発する父に、少女は途方に暮れた表情を浮かべた。
「遊んでくれて、ありがとう」
 少女はぽつりとそう言って、とぼとぼと城の奥へと歩いていった。
 少年はその淋しそうな姿が忘れられなかった。
 その年も、次の年も。
 父は二度と少年を城に連れていってくれなかったから、彼女との約束を、果たすことができなかったけれど。
 そして、少年は、十六歳になった。
 その頃には少年は、一つの願いを持っていた。警備兵になり、あの少女を守るということである。城の警備兵は、国でも僅かの人数しか選ばれないエリート職である。でも、約束を果たすことができなかった想いが、少年を駆り立てた。少年は念願の警備兵に応募し、見事予備隊に入隊した。
 衛兵として初めて城に入った日、どきどきしながら少年は辺りを見回していた。小さかったし、自分のことを忘れてしまっているだろう、とは思っていたが、少年はそれでも少しだけ期待していたのだ。
 リシア王女は、現れた。美しい侍女に付き添われ、散歩をしていたのだった。
 少年の胸は高鳴った。
 リシアは、少年の前に来て「こんにちは」と挨拶をした。
「今日から衛兵なの? よろしくね」
 少女は、覚えていた通りの笑顔で声をかけてくれた。少年は、嬉しかったものの、やはり忘れられていたか、と失望も同時に感じていた。
 しかし、次の瞬間、リシアは言ったのだった。
「素敵な焦げ茶色の髪ね。私、何故だか好きなのよ」
 ぴかぴかの兜の下からのぞくその髪を、王女は誉めたのだった。
 少年は、胸が熱くなった。自分のことは忘れているかもしれないが、彼女の中には、確かにあの時の記憶が深いところに残っていると感じたのだ。
「リシア様の、青銀の髪の方が、何倍もお美しいです」
 少年は、僅かに涙ぐみ言った。リシアは、あの時と同じように照れ臭そうに俯いた。
 その後、少年は、リシアへの密かな思慕を抱きつつ、彼女が大人になるまでの数年間を城の衛兵として過ごすことになる。彼女の笑顔を見るために。
 リシアが城を出た後も、彼はずっと彼女のいた家を守り続けた。思慕は、いつしか崇拝の気持ちへと転化していく。
 自分に妻ができ、子供ができても、彼はずっとリシアを自分のただ一人の主人として、崇拝し続けた。彼女の父、彼女の兄、彼女の実家を守ることが、彼の中で最大の使命となった。
 それは、リシアが知ることのない、少年の頃の純粋な心を持ち続けた、一人の男の物語。
 少女に魅せられた、一人の男の物語。