半年ものあいだ猛威をふるい続けていた流行り病がやっと姿を消したのは、春の訪れと同じ頃であった。経済も政治も落ち着きを取り戻し、イークはやっと悪夢から逃れた気持ちになっていた。
 しかし、王となったイークに今度は、妃を選ぶという義務が生じていた。このままでは国王家の血筋は絶えてしまうからだ。
 妃を選べ、と言われた時、イークの脳裏にすぐに浮かんだのは、マリサの姿だった。今は、昔彼女が言ったことの意味が痛いほどわかっていた。そして、マリサがどんなに素晴らしい女性だったかも。あのような女性には、二度と巡り会えないと思った。
 五つも年上の彼女だから、もうとっくに結婚しているだろう、とイークは思いながらも、微かな望みを込めて、マリサに久しぶりに手紙を出した。会えませんか、と一言だけ。
 返事はすぐに来た。はい、とやはり一言だけ、書いてあった。
 そして、二人はあの庭園で再び会った。庭園は手入れする者もいなかったせいで、草木が伸び放題であった。しかし、その中でマリサの姿は、不思議と昔と少しも変わってないように思えた。
「私は、少しは大人になりましたか?」
 イークは、不安そうに尋ねた。自分が少しは大人になったとは思ったが、その間に、彼女もまた大人になっている。彼女から見て子供ではないかと気になった。
 マリサは、今までイークが見たこともないような、美しい笑顔を見せた。
「ええ、充分すぎるほどですわ、イーク様。想像以上に、ご立派になられました」
 イークは、その笑顔を見た瞬間、何故か涙がこみ上げてきた。
 今まで、彼女に一番認めてもらいたかったのだ、とイークは悟ったのである。自分がしてきたことが、無駄ではなかったと。
「あなたの言ったことが、今では良くわかります。私は子供だった。でも、一つだけ間違っていなかったことがある。あなたのことを好きだと思ったことです。それだけは、私は正しかった。もっと早く気が付けば良かった……」
 涙を落としながら、イークは今の想いを打ち明けた。
 そっと、いい香りのする白いハンカチが、イークの頬に流れる涙をふき取った。
「私も、謝らなくてはなりません。私も昔子供で、あなたを試すようなことを言ってしまいました。まるで私があなたを選ぶかのように……」
 マリサは、イークの蒼い目をまっすぐに見つめた。
「あなたの姿を、ずっと見ていました。最初は男性としては見られなかった。けれど、今は私の手が届かないほど、素敵な男性になられましたのね」
 そっと自嘲的に微笑む、マリサ。
「私、他の男性が目に入らなくなってしまいました。ずっと、一人でいるつもりですの」
 その言葉に、イークは反応した。瞳が大きく開かれる。
「結婚、されていなかったのですか? 私は、間に合ったのですか?」
 イークの反応の余りの大きさに、マリサはさっと頬を赤らめ、うろたえる。
「そんな……まさか。だって、王様……なのですよ? 私で、いいわけが……」
「あなた以外の、誰がいいというのです? 少なくとも、私はあなたしか見ていない。あなた以外の妻は得たくない。あなた以上の王妃も考えられない」
 マリサは俯いた。動揺する彼女に、イークは重ねて言った。
「イエスが聞けるまで、何年でも待ちましょう。あなたが教えてくれたことに比べれば、歳月など塵に等しい」
 マリサはそれを聞いて、何かを吹っ切ったようだった。
少しためらった後にそっと手をイークの手に重ねる。その蒼い瞳に、星のような美しい輝きがあった。
「……約束を、破ってしまうところでした。大人になったら、お付き合いして頂くのでしたものね。私で、よろしいのなら……」

「……そう言ってマリサは、私のところに来たのだよ」
 イークは、話を結んだ。リシアがふー、と大きな溜息をつく。その頬が紅潮している。
「父様と母様って、色々あったんだね。母様、かっこいい。私も、母様みたいになりたい」
 マリサに面立ちが似てきた娘を優しく微笑んで、イークは言った。
「そうだな、そうなるといいな」
 こくん、と頷いた後、リシアは、うっとりしたような瞳をしてしばらく動かなかった。自分の将来を夢見ているのかもしれない。いつもより大人びて見える。
 その姿が亡き妻と重なり、イークは胸が締め付けられるような気持ちになった。添い遂げることなく、病で逝ってしまったマリサ。
「父様、ありがとう。今日は、良い夢が見られそうだわ」
 リシアは父の心境に気づくことなく、すっと立ち上がると笑顔を見せ、何かを考えながら部屋から出ていった。
「マリサ……リシアは、きっとますます君に似るだろうな」
 小さく呟いたイークは、窓から空を見上げた。
 空には満点の星。
 マリサの瞳に浮かんでいた、あの日の輝きのような。
 そして、イークは淋しさを一瞬忘れ、夜空に抱かれたような気分になる。