「それでも、父上がお好きなのですか?」
「そうですよ。その人のいいところも、悪いところも、全てを含めてその人を見て、それを認め、それでもなお好きだと思えるかどうか……それが、人を好きになるということだと思うのですよ。私は、全部を含めて、お父様が大好きです」
ルイシェは、まだ全てを理解したとは言えなかったが、少し母の気持ちが分かるような気がした。例えどんな状況にあろうと、母を嫌いにならないだろうことと同じことなのかもしれない、と思った。
しかし、ルイシェはまだ本当に聞きたいことを、母の口から聞き出せないでいた。考えて、最後に質問をもう一つ加える。
「父上と結婚して良かったですか?」
ライラはこくりと少女のように笑顔で頷いた。
「ええ。全てが思い通りに行っている訳ではないけれど、お父様の大変さに比べればこれくらいは些細なこと。お父様は、他の方々の手前、顔には出されないけれど、私達を一生懸命守って下さっているのです。お父様は、あなたが生まれる前から、あなたを臣下としてなど扱いたくなかったのです。私達のことを、それだけ愛して下さっているということ。その気持ちが私には嬉しかった。お父様と添い遂げられればというのが、私の望みです」
ルイシェが聞きたかったのは、まさにこの言葉だった。父に愛されているのか、という実感、それがルイシェに欠けていたものだった。ルイシェは、少し満たされた気持ちになる。
ルイシェは、父の立場というのをそれまで考えたことがなかった。母の立場さえ、考えたことがないのを痛感した。守られている、と今まで一度も感じたことがなかったが、それはもしかしたら、無骨な父の照れ隠しなのかもしれないと思えた。
父を、初めて心から尊敬する気持ちが湧いてきたのは、この時だった。
そして、自分のこの立場を父が守ってくれている以上、息子としてその期待に応えねばならない、と思った。
次の日から、ルイシェの密かな鍛錬が始まった。父が望む剣の腕、母の望む護身術、国の歴史や国際関係の流れの勉強……
父が自分を必要とした時に、必ず役に立てるように、できるだけ知識と体力を蓄えた。
少しずつ年を重ねるごとに、母が言った通り、父の政策が全て正しいとは思わなくなっていたが、父への密かな尊敬と愛情は揺らぐことはなかった。
周囲のルイシェへの圧力は益々高まっていったが、ルイシェは父と母の自分への思いを信じ、弱さが自分の心の暗闇を蝕もうとするのを撥ねのけた。
そして、十二歳になったある日。ルイシェは父に呼ばれた。
「ルイシェよ、お前ならそろそろ政治を実際に動かしてみることもできよう。今度、ニィ国に会談に出かけることになっているが、お前も一緒に連れて行こうと思う。その間、国はロージョに任せる」
ルイシェは目を輝かせた。
「はい、父上。準備をします」
その日から、ルイシェは国の手伝いをするようになった。兄からは雑用係よろしく扱われたが、苦にはならなかった。
時々、自分では納得できないような、余りにも短気な政策を行う父を疑いたくなることもあったが、母の言葉がルイシェに大きな影響を与えていた。賛成することはできなくても、認めることはできる、その感覚が次第にルイシェの身についてきた。一つの壁を乗り越えたルイシェは、備わっていた才能の芽を充分に伸ばし、めきめきと頭角を表していく。
しかし、この時ルイシェはまだ知らなかったのだ。
父母以外に、自分を「身分の低い母から生まれた第二王子」でなく、ただの「ルイシェ」として見てもらえるのだということも。初めて会った誰かが、純粋に好意を寄せてくれて、自分を大切に思ってくれるとはどういうことなのかも。
数年が経ち、大分外交にも慣れた十五歳のルイシェを、クリウ王が呼び出した。
「ルイシェ、今度はエルス国に通商条約の話し合いに行ってほしい。現在我が国が大変な状況にあるのはわかっているな。絶対有利に条件をつけてこい」
ルイシェは、頷いた。難しいことでも、できるだけこなして、父に認められたかった。
「はい、わかりました、父上」
エルスに行くことを告げると、母は蒼い宝石のついた首飾りを渡した。それまで、一回外国に行く度に、母はお守りを何か一つずつ渡していた。その量は大分多くなっていたが、かさばるものでもなかったから、ルイシェは素直に、その全てを毎回荷物に入れていた。
「お守り代わりに、ね。男の子のあなたがこんなのを持つのは恥ずかしいでしょうけれど」
母の少し不安げな笑顔に見送られ、ルイシェの乗った馬車は、イェルトを離れエルスに向かう。
運命の少女がいる、その国へ。
そして、ルイシェの運命の歯車が漸く回り始める。