テイルに引っ張られ、東屋まで来たリシアとルイシェは、心配そうにエクタの姿を視線で追っていた。テイルはそれを無理に座らせる。
「おいおい、二人とも、詮索はするなよ。エクタだって、それなりの覚悟はしていた筈だ。イーク王だって、話せばわからない訳じゃない。任せておきな」
テイルの年長らしい発言に、二人は黙って頷いた。実際、リシアやルイシェから見れば、テイルはもう二十の大人である。
「さて、と。じゃあ、素直なお二人さんに飲み物でも取ってくることにするかな」
パチン、とウインクを綺麗に決める。リシアは嫌な予感がした。
「あっ、テイル兄様……」
慌てるリシアを気に留めることもなく、テイルは足取りも軽く東屋から出ていってしまった。リシアは、頭を抱えた。リシアがルイシェに対して、態度がおかしいのを察知しているとすれば、テイルという男はまず戻ってこない。面白がって遠くから見ているだけであろう。そして、さっきから自分の取っている態度がおかしくないなどとテイルが思う訳もなさそうだった。
東屋は宴の中心から多少離れたところにある。白い大理石で築かれた瀟洒な建物で、夜には恋人達が愛を語り合う場所だ。ルイシェはそれを知らないだろうが、こんなところで二人きりになってしまったことは、彼女にとって大問題であった。段々、緊張が高まってくる。きちんとさっきのお礼を言わなければ、という気持ちも強まってきていた。
ぎくしゃくしながら、ちら、とルイシェを見ると、ルイシェはまだエクタの呼ばれた方向を気にしているようである。
僅かの逡巡の後、遂にリシアは、二,三回大きく静かに深呼吸し、思い切って話しかけた。
「ルイシェ様、あのっ、改めて、さっきは、ありがとう、ございました……」
気張って話しかけてはみたものの、言葉尻が段々か細くなる。ルイシェはびっくりしたようにリシアを見たが、すぐに笑顔になった。
「いえ、ご無事で何よりでした」
リシアは笑顔を返そうとしたが、余りの緊張に顔が強張って、うまく笑えない。それを隠そうと、自然に俯いてしまった。
俯いたリシアを見て、ルイシェは少し困惑した。ルイシェの周囲には、今まで同世代の女の子がいなかったのだ。とりあえず、無難に尋ねてみる。
「お怪我はありませんでしたか? 大分、手荒に扱われていたようでしたので」
リシアはぶんぶん、と大きく顔を横に振り、大丈夫であることをジェスチャーで伝えた。言葉がなかなか出てこないので、この方が早いと判断したのだ。
その仕草に、ルイシェは思わずくす、と笑ってしまった。余りにも可愛らしかったのだ。少なくとも、嫌われていたわけではないらしい。
闇夜の為、ルイシェの一言でみるみる首までぽうっと赤くなったリシアには気づかず、気が楽になったルイシェは、胸につかえていた一つの出来事を告白することにした。
「申し訳ありませんでした」
「?」
突然の謝罪に、きょとんとするリシア。
「本当は……もっと早く助けられたのに、助けられなかったのです。僕は、この街に入った時に、リシア姫が傭兵に抱えられているのを見ていた……なのに、それを見過ごし、エルス城に入っても伝えなかったのです。結果、長時間、リシア姫は拘束されてしまったから……」
ずっとそのことが、引っかかっていた。その時自分が追えば、自分の警備兵もいたことだし、何とか救うことができただろう。そしてもし、さらわれたのがリシアではなく別の人間だったならば、そのまま救いに行けなかったかもしれない。自分の良心が、痛んでいた。たまたま上手くいったからいいが、今回のことは自分の責任だ、とルイシェは感じていた。
話を聞いていたリシアが、ふふ、と微笑んだ。余りにも真面目なルイシェの言葉と表情がおかしかったのだ。あれほどの緊張が、ふうっと解けていく。
リシアは、一言一言噛みしめるように、自分の気持ちをゆっくりと話し始めた。
「私、さらわれたって気づいた時、何日も誰も来てくれないだろうって諦めてたんです。兄様も父様も忙しいから。なのに、兄様、今日のうちに来てくれました。ルイシェ様も。ほんとに嬉しかった……だって、今日は特別な日なんです。私の、十二歳の誕生日」
リシアの澄んだ青い瞳が、まっすぐに初めてルイシェの目を見つめる。
「私、今日ルイシェ様に助けてもらいました。だから、私はお礼を言わなくちゃいけないわ。だけど、悪いこと何にもしてないルイシェ様は、謝っちゃダメなんです。悪い人がいるとしたら、さらった人でしょう?」
花開くような無邪気な笑顔が、ルイシェの心の中に暖かな衝撃を与えた。ルイシェはしばらくかける言葉を探し、そして一番自分の気持ちに合った言葉を選択した。
「ありがとう、リシア殿」
二人の間に、穏やかな優しい空気が流れる。
外見に似合わないほど朴直なルイシェを、リシアは少し違った目で見始めていた。兄に少し似ているところがある、と思ったのだ。真面目な兄がすぐにルイシェと仲が良くなったのが、理解できるような気がした。そして、自分も色々な話ができるくらい仲良くなりたいとも思った。
「ルイシェ様、テイル兄様、どうせ戻ってきたりしませんから、向こうで食事でも取りませんか? 私、本当はおなかぺこぺこなんです」
人々のざわめきを指さしてリシアが誘うと、ルイシェは笑顔で頷いた。
「ルイシェとお呼び下さい。僕もおなかが空きました」
「あら、じゃあ私のこともリシアと呼んで下さるわよね? さあ、行きましょう」
ルイシェは、リシアに手を引かれながら、自分にもこのような妹がいたらいいのに、と強く思っていた。
優しく、二人を白く輝く月が眺めていた。