地下牢は外の賑わいからは想像もできないほど、静まり返っていた。石造りの壁はひんやりとしており、牢番のカツ、カツ、という巡回の足音だけが響く。夏が近いとは思えない肌寒さに、エクタはマントをしっかり肩に掛け直した。
 エクタがここに来る気になったのは、いつもの自分を取り戻す為だった。実際、エクタは平常心をもう取り戻していた。新しい考えはショックではあったが、同時に心のどこかで納得してしまう部分があったからだ。
一つの牢の前に佇む。それは、ダシルワの個人牢であった。
「おや、王子様がこのようなところに来て下さるとは」
 ダシルワは大げさに両手を開き、歓迎のポーズを取った。が、明らかにその顔色は悪い。
「少し、聞きたいことがある。……何故リシアをさらった?」
 単刀直入に、エクタは尋ねた。言葉を飾る気持ちの余裕は、まだなかった。
ダシルワは顎髭を撫であげた。捕まったことですっかり腹が決まったようで、その口は軽い。
「それはね、たまたまだよ。私は王家から多少何かを盗めば気が晴れたのだがね。残りの傭兵二人はそうは思わなかったようだよ。まあ、私も楽しんだが」
「王家に恨みがあるのか?」
 その一言を聞くと、ダシルワは酷く嬉しそうに笑った。
「はっはっは。これはこれは。そうだな、傭兵二人は平和すぎて職がないこの国を嫌っていたよ。私は違う。この国を愛していたさ。王家もさ。王家の方は、爵位を奪われた途端、忠誠を誓う気にはならなくなったがね」
 段々憎々しげにエクタを睨み付ける。
「多少の贈賄で爵位剥奪とはね。綺麗すぎるのだよ、この国は。貿易? 他国の血をすすっているだけじゃあないか。この豊かさは偽物だよ。なのに、王家はそんなことを考えたこともないかのようにきれい事だけで政治を進める。多少理不尽な目に遭って、現実の厳しさを知るべきだと思ったね。まあ、多少の盗みじゃ痛くも痒くもなかったかもしれないがね」
 ぎらぎらとした光を帯び始めた目に動揺することもなく、エクタはきっぱりと言った。
「それはただの責任転嫁だ。罪を犯したことには変わりがない。そして、もっと大きな犯罪に手を染めたことも」
 人は、図星を指されると逆上する。余りにも正論ゆえに逃げ場がなくなり、感情が爆発するのだ。ダシルワの目が一気に血走り、がっと見開かれた。
「小僧に何がわかる!? たったあれだけのことで、家を失い家族に捨てられた人間のことを考えたことがあるか!」
 鉄格子を握り、いきなりいきり立った男を、エクタは冷ややかに見つめた。
「何もしていないのに家族をさらわれた人間の気持ちは、考えたことがあるとでもいうのか」
「王家に生まれた運命さ。ははは、今になればいい気味だ」
 せせら笑うダシルワに、エクタは口をつぐんだ。この男には、通じないと思った。
気分がひどく悪かった。
 何も言わず立ち去るエクタを嘲笑で送るダシルワを、牢番が慌てて止めに来た。
……数週間後、むち打ちの上国外追放という運命がダシルワを襲った。他の二人も同様の刑である。
 それは、王女誘拐にしては軽い刑かもしれなかったが、逆上した一人の男の心に明確な憎しみを植え付けるには、充分だった。

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