リシアの侍女リーザは、その日何度かルイシェとリシアの仲の良い姿を目撃していた。その度に、余りに可愛らしい二人の様子に羨望の混じった微笑みを漏らさずにはいられなかった。
 リーザ自身は、今年二十一になる。十七の時に念願の城勤めになり、大抜擢を受けてリシアの侍女となって以来、リシアの信頼と愛情を一身に受けてきた。自分自身一番望んでいたことだった。
 とはいえ、仕事一筋に生きてきたリーザには親しい男性というのも現れず、ちょうど結婚適齢期である現在、リシアとルイシェを見ても少し羨ましくなってしまうのであった。
「リーザ、何溜息をついているんだい?」
 背後から声をかけられ、飛び上がる。しかし、誰かを見極めると、すぐにリーザは暖かい笑顔になった。
「まあ、エクタ様。私、溜息なんかついてました?」
「うん、ついていたよ。疲れたなら、少し休んだ方がいいよ」
 エクタは、王の執務室から出てきたところだった。仕事の手伝いが一段落ち着いたらしい。
「私は大丈夫ですわ。でも、エクタ様こそお体を大事になさらないと。余り無理をなさってはいけませんよ」
「ありがとう。ちょっと僕も休憩を取るところだったんだ」
 エクタは、自分のことは自分でできるから、と侍女を置いていない。その為、侍女の中で一番エクタの近くにいるリーザは、よくエクタの話し相手になることがあった。二人は、開け放たれた部屋の中に置いてある椅子に座り込んだ。
 エクタは、リシアとルイシェが仲良く遠くの廊下を歩いているところを見ながら、独り言のように呟いた。
「仲が……良すぎるかな」
 リーザは、びっくりしてエクタの顔を見た。エクタの眉根は、軽く寄せられていた。
「どういうことですか?」
「えっ? ……ごめん。ルイシェはいい奴だし、いいことだよ。まずいのは、僕の考えだ」
 リーザに尋ね返されて、うろたえたように首を二、三回振ると、ふうっと、大きくエクタは溜息をついた。手を組み、額に当てる。その、僅かに幼さの残る顔に苦悩の表情が浮かぶ。
「最近、自分が嫌になる。リシアを政治の道具として見ている自分がいるんだ。ルイシェはイェルトの第二王子、しかも大分国では冷遇されているらしい。そのルイシェのところにもしリシアが嫁ぐとしたら、と思ってしまった」
 リーザは、くすっと笑った。リーザには、妹思いゆえの心配に思えたからだ。
「エクタ様、考えすぎですわ。リシア様はまだ十二。いくら王家の婚姻が早いと言っても、この大陸では十六になるまでは結婚はしないのが通例です。昨日会ったばかりのルイシェ様とリシア様の結婚を考えるなんて、早いのではありませんか?」
「そうだね。うん、その通りだ」
 しかし、エクタの表情は晴れない。リーザは、エクタの異変にやっと気づいた。他に原因があると考えた彼女は、優しい声で尋ねる。
「エクタ様、何かありましたの?」
 エクタは、俯いたまま、しばらく何も言わなかった。が、リーザの母のような眼差しに助けられ、重い口をやっと開いた。
「ねえ、リーザ。僕は、母が亡くなった瞬間から、この国の為に、父の為に、リシアの為に、大人であろうと思い続けた。けれど、たまにうんざりするくらい自分が子供に思える。父は僕を大人として扱っている。なのに、僕はそれに全く追いつけないくらい、子供な気がして……」
 初めて聞くエクタの弱音だった。いつも堂々として、落ち着いているエクタが、濡れそぼった小鳥のように助けを求めている。たった五つ年下の少年が背負っている重圧を、リーザは初めて垣間見た気がした。今、目の前にいるのは、普通の傷つきやすい少年だった。
「エクタ様はいつも無理をなさりすぎです。まだ、十六でしょう? 焦らなくていいのです。大人は沢山いるんですから。……ね?」
 リーザは、まるで子供をあやすように、エクタの金色の素直な髪を撫でた。エクタは、黙ってされるがままになっている。
「疲れているんですよ。リシア様がさらわれたり、色々あったから。ゆっくり、一度お休みなさい。私から、王様にはエクタ様がお休みになるとお伝えしておきますから。休んだら、今よりは良く考えられるようになりますよ」
 暖かな響きは、エクタの心に沁みこんだ。昨日から混乱して動かなくなっていた頭が、少しずつほぐれてくる。リーザの母のような優しさが、嬉しかった。
「ありがとう。もう、大丈夫。話を聞いてもらったら、すっきりした。心配かけて、ごめん」
「えっ、でも、エクタ様、少しでも休まれた方が……」
 心配するリーザを笑顔で安心させ、立ち上がったその時、エクタは廊下に慌ただしい動きがあるのを発見した。今まで少年の顔をしていたエクタは、瞬時に男の顔になる。
「何事かあったらしい。行って来る」
 あっという間に飛び出していってしまったエクタを見て、リーザは大きな溜息をついた。リシアもエクタも、まだ皆が思っているより子供であるとリーザは感じていた。二人とも良く似て、繊細で他人を気遣いすぎ、ぎりぎりまで我慢してしまうところがある。それが、リーザには不安だった。
「私だけでも、お母さんの代わりになってあげなくちゃ」
 リーザは呟き、小さくガッツポーズを作った。彼女に三年の間育てられたリシアが、彼女の影響を強く受けていることは、間違いなさそうなところである。

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