四年前までそれが現実だった筈なのに、まるで幻のように、母と共にその時間は消えた。父も兄も悲しみを振り払うかのように国を良くする為に全力を尽くしていた。リシアには教育係を兼ねた侍女がつけられ、家族よりも侍女と過ごす時間の方が長くなった。
 侍女のリーザが嫌いというわけではなかった。反対に、何でも言える本当の姉のように慕っている。母親の愛情までは届かなくても、彼女はリシアに精一杯の愛情を注いでくれていた。
 だが、自分で思っていた以上に、リシアは肉親の愛を欲していたのだ。かつての幸せな時を欲していた。リーザと親しくなればなるほど、どこか冷めた部分で、「リーザは仕事だから……」という考えが頭をもたげる。
 涙で、腕と膝の布地がびっしょりと濡れる。もう、声にもならない泣き声に変わっていた。
 その時である。
 廊下に低い話し声と足音が響いた。
 リシアはぴくり、と反応した。嗚咽を飲み込み、聞き耳を立てる。こんな姿を誰にも、そう、例えリーザにも見られたくなかったのだ。いつも、強い姫と言われている自分が弱いところを見せるのは耐えられない。
 ぼそぼそぼそ。
 何を言っているのかは聞こえないが、聞いたことのない声である。段々と耳を研ぎ澄ますにつれ、リシアは疑問を覚えた。男達の声は、訛りがきつく、粗野な感じがしたのである。ここが王宮であることを考えると、本来あり得ないことであった。
 傭兵でも新しく雇ったのかしら、と涙も忘れ、リシアは思った。
 その時、まさにリシアのいる部屋の扉が荒々しく開かれた。三人の男が、部屋に乗り込んできたのだ。
「何だ、誰もいねーな」
「ここは応接間か。全く、いい暮らししてるもんだぜ」
 リシアは、扉が開いたことが信じられずに部屋の隅で呆然とそのまま座り込んでいた。このままでは見つかる、と思ったのだが、身体が動かない。
 城の者が誰もいないのに、傭兵達が勝手に部屋に入り込む、そんなことが許される訳はなかった。異常事態に、リシアは大きく震えた。
 すると、まるで身体の震えが空気を伝わったかのように、男達はリシアのいる方に目を向けた。目を大きく見開き、オーバーアクションを見せる。
「おやあ? 誰かいるぜ」
「本当だな。娘っこがいるぞ」
 リシアは、座ったまま少しだけ後ずさった。男達の様子は尋常ではなかった。全身から好戦的な臭いが立ちこめている。
「おい、この娘……まさか、リシア姫か」
 一人が、はっとしたように呟く。三人の中で一番年かさに見え、黒い髭を生やしている。
「まあ、そうなるだろうな。こんなところにいる女の子は他にいねえだろ?」
 嬉しくてたまらない、というように痩せた男が舌なめずりした。
「俺たちゃ運がいいな。この姫さらえば、無謀なことしなくて済むってわけよ」
「そういうこった」
 男達は含み笑いをした。
 リシアはまずい、と思った。ゆっくりと慎重に立ち上がる。
「おや、どこに行くのかな?」
 男達はにやにやと包囲網を作る。リシアは、きっと男達を睨みつけた。
「この部屋を出るの。通して下さい」
 しかし、少女の気迫に押されるような男達ではない。大柄な鎧を着込んだ男がドアを塞ぐように立ちはだかり、リーダー格らしい痩せた男がリシアに更に近づいた。リシアの顔に、涙の跡を見つけ、にんまりと笑う。
「何だ、お姫さん、泣いてたのか。泣くほど辛いことがあったなら、益々好都合だ。なあ、何があったのか知らないが、何か嫌なことがあったんだろ? こんな城もう嫌だろう?」
 段々と猫なで声に変化してくる不気味さに耐え、リシアはきっぱりと低い声で返事をした。
「残念ながら、そうでもないわ。少なくとも、今、城を出たいとは思わないもの」
 気丈なその声に、鼻白んだ男達は、顔を見合わせた。
「まー、流石お姫さんで。胡散臭い人間の言うことは聞かねえらしいな」
「仕方あるまい、強制的に連れていこう」
「俺が担いで走るさ。ちょっと気絶してもらってな」
 鎧男が、無表情にリシアに近づく。
その瞬間、考える間もなく、リシアは大声を出していた。
「誰か来てええ! 強盗よお! 人さらいよおおお!」
 だが、残響はぷつりと途絶えた。男が鳩尾に拳を叩き込んだのだ。リシアはくたりと崩れ落ちた。男が軽々と担ぎ上げる。
 男達はにっと笑うと、確保しておいた脱出経路へと歩き始めた。
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