その声が耳に届いたとき、不意にルイシェの心を駆け抜けたのは、死にたくない、という思いだった。死ぬのは怖くない、でも、今死にたくない。
それは、本能の叫びなのかもしれなかった。生まれてきて、誰にも何一つ認められることなく生きている自分が、今消えるのが嫌だった。
「首飾り、ありがとう。預かっておくよ。必ず、返す」
ルイシェの口から出たのは、本人でさえ予想もしなかった、将来の約束だった。
「本当?」
リシアが縋るような目でルイシェを見つめる。ルイシェはその瞬間、その瞳に誘われるかのように、はっきりと自分の偽らざる心を認識した。生きたいという、疼くような渇望。ルイシェの言葉は、意志あるものに変化していた。
「約束する。僕は、死にには行かない」
リシアの表情が、ふっと和んだ。納得したように、こくり、と頷く。
そして、はっと涙まみれの自分の顔を思いだし、慌てて手巾を取り出し、後ろを向いて顔を拭きはじめた。
ルイシェはそんなリシアが、ひどくいとおしく思えた。自分の為に泣いてくれたリシア。自分の生きたいという望みを、引き出してくれたリシア。誰かがこれ程までに自分を考えてくれるということが、どんなに自分を価値のあるものにしてくれるか。
胸に、一つの決意ができていた。
リシアの為に、生き残ろう。
母の為、自分の為でもあるが、誰よりもリシアの為に、生き残りたかった。
それは、恋というには、余りにも痛切な、切実な想いだった。
リシアは、涙を拭き終えたその顔で振り返り、にっこりと笑った。
「待ってるね」
その一言は、ルイシェの心に、深く、深く刻み込まれた。
一時間後、ルイシェは、部屋に荷物をまとめた従者を集めていた。ルイシェは沈痛な表情を浮かべている従者達に、静かに語りかけた。
「これから僕はデュアグのマズール地区へと向かう。戦況は極めて不利だと予想される。僕は勝機を窺うつもりではいるが、皆の命を保障することは難しい。だから、もし戦争に赴きたくない者がいれば、申し出て欲しい。このエルス国に亡命することを僕からイーク王に願ってみる。が、できれば一緒に来て欲しい。生きて帰り、イェルトに戻ろう」
一番の腹心の従者、セルクは、ルイシェがいつもと違うのにすぐに気がついた。幼い頃から、どこか自分の存在を諦観していたルイシェが、勝機を窺うと言う。生きて帰ると言う。セルクはルイシェに付いていこう、と心に決めた。
ルイシェを顔が綺麗なだけの身分の低い王子、と馬鹿にしていた者達も、ルイシェの話し方に今までと違うものを感じた。ルイシェが次期国王に選ばれたのだ。その風格のようなものが出ている。そして彼らはまた、生きて帰ればチャンスがあることに思い至る。家族を捨てエルスに亡命するよりは、このままついていくのが一番の得策であろう、という計算が働いていた。
思惑の違いは多少あれど、全員がルイシェに付いていく気持ちになっていた。
誰も、動かなかった。ルイシェは、一人一人の顔をじっと眺めたが、その顔に迷いがないことを確認し、おもむろに頷いた。
「それでは、行こう。勝つために」
ざっ、と皆が一斉に胸に手をあて、敬礼をした。新たなる次期国王の為に。