林の中の街道は、気持ちよく整備されていた。その中を、一台の馬車が走っていた。重厚で飾り気のない馬車である。中では、一人の少年が窓の外を眺めていた。水際だって美しい、漆黒の髪の少年である。年の頃は、十四、五歳、エクタとはそんなに変わらないように見える。が、エクタを太陽とすれば、この少年は月、そんな雰囲気を纏っていた。
整備された街道を見て、自分の国ではこうはいかないな、少年……ルイシェは思った。
自分の国、イェルトはまだ戦乱期にある。今も隣国との境界線で、戦闘が続いている筈だ。戦争に疲弊したイェルトでは、食糧さえままならない状況が続いている。街道は荒れ放題だが、直す余地などない。今日、エルス国との間に通商条約を結ぶのも、少しでも有利に食糧の流通を広げる為である。
エルス国はここアリアーナ大陸の中でも、最も裕福な国である。商活動が活発で、貿易による交易品が数多く流通している。特に最近は戦争もなく、繁栄を極めている感がある。
ルイシェは密かにこの国に憧れを寄せていた。父や兄弟達は軟弱国だ、と誹るが、そうは思えなかった。
林を抜けると、ぱっと明るくなり、見事な景観が広がった。
「凄い!」
ルイシェは思わず腰を浮かせ、呟いていた。
そこには、白を基調とした、美しい都市があった。城下町の周囲は高い壁で囲まれ、武力による侵入を困難にしている。屋根はオレンジ色で彩られ、城までのヒエラルキーがなだらかに続く。中央にある城には高い塔があり、この都市の景観にアクセントを付けている。まるで絵画のようであった。
「これは、美しい国ですね」
向かいに掛けていた、腹心の従者、セルクも感嘆の声を漏らす。
「うん。ここ数年、様々な国を回ったけれど、こんなに美しい国は初めてだ」
ルイシェは目を輝かせて見つめた。
厳重な門番の審査を終え、城下町に入ると、その感はさらに強まった。あちこちの道ばたで開かれている市、はためく洗濯物、明るい声で語る市民。誰もが活気に溢れている。
「全く素晴らしい。ルイシェ様、我が国も戦争が終わればこのように活気づくでしょうか」
「うん、そう信じたいね」
その時、遠くの方でざわめきが聞こえた。ざわめきは、段々大きくなってくる。
何事かと、そちらの方向に顔を向けると、悲鳴を上げながら人が左右に割れ、間から傭兵らしき二,三人が猛スピードで馬を駆って飛び出してきた。ルイシェの馬車も避けようと、大きく方向を変えた。
あわや、というところで、傭兵達はルイシェの馬車の横をぎりぎりにすり抜けてゆく。
その時、窓の外を見ていたルイシェの目の前を、青銀の光がきらりと横切った。何気なく、その光を追ううちに、ルイシェの表情が変わった。
「セルク。今の傭兵……子供を抱えていた」
「え?」
「間違いない。多分、女の子だ。ぐったりしていた。追っていいか?」
「ちょ、ちょっとお待ち下さい、ルイシェ様! もしかしたら医者に見せにいく途中かもしれません。勘違いだったら、どうなさるのです? それよりも、今は国の条約の方が大切です」
ルイシェは、何か言いたげな顔をして、セルクの顔を見つめたが、しばらくして諦めたように頷いた。
「……そうだな。僕が軽率だった。先を急ごう」
しかし、ルイシェの心の中には、妙に嬉しげな傭兵達の表情が、いつまでも心に残っていた。