第二章 妖術師
茶色い、乾燥した山々に囲まれた狭隘な土地、デュアグ国のマズール。
細い川岸にこびりつくように建てられた粗末な石造りの家々も、今は戦争による破壊で見る影もない。人々は痩せこけ、倦み疲れ、全てを諦めきった表情で、それでも戦渦の中日常生活を送っている。
ひねこびた木々、荒れた土地。どこを見ても、見る者の心を索漠とさせる。
何もないこの土地から、僅かばかりの金が取れさえしなければ、この土地に人が住み着くことなどはなかったであろう。そして、国同士がこの土地を奪い合うことも。
イェルト軍とデュアグ軍は南北に別れ、対峙していた。戦況は完全にデュアグに有利に展開している。軍の規模を大幅に削られたイェルト軍は、更に大将であったロージョ王子を失い、精神的にも大きな痛手を負っていた。
山を越えてルイシェ達が到着した時には、既に敗戦色は濃厚で、今まで戦争に参加したことすらない子供の第二王子が僅かばかりの援軍が連れて来たといっても、誰も喜ばなかった。王都から帰還命令が出ていれば、全員がすぐにも帰りたい心境であったであろう。
ルイシェはその空気をすぐに見て取った。
「各軍団の軍団長を呼んでくれ」
腹心のセルクにそう告げると、ルイシェは兄ロージョの討たれた本陣のテントに入った。僅かに残った、主を失った傷だらけの警備兵達は、ルイシェが入ってきても胡散臭そうに座ったまま眺めるだけで、動こうともしない。今更第二王子が何をしにきた、という言葉が突いて出てこないのが不思議なくらいの表情であった。
ルイシェは、兄のかつて座っていたであろう椅子の前に膝をつき、しばらくの間黙祷を捧げた。椅子の布張りの部分に残った僅かな血痕が、負けることが何よりも嫌いだった兄の無念を象徴しているかのように思えた。
そのうち、ざわめきと共に十名程の軍団長達が現れた。皆、屈強な歴戦の戦士であるが、負傷している者の姿も多い。
彼らは指揮テーブルの自分の席に座った。まだ、黙祷を捧げていたルイシェが、ゆっくりと立ち上がる。兄の椅子には座らず、ルイシェは机の前に立った。皆の視線が集まる。
「今まで、良くここを守ってくれた。兄のことは残念だが……これからのことを考えよう。今、我々は帰還することが許されていない。敵の総攻撃を受け、全滅を待つくらいなら、勝つ方法を考えたい」
ルイシェの第一声は、軍団長達の度肝を抜いた。中には、ひよっこが、と失笑する者も現れる。しかし、ルイシェは動ずることなく、第一軍団長のメルハに尋ねた。メルハは、かつてルイシェに剣を教えていたこともある、実直な白髪の老兵である。
「メルハ、今の状況を詳しく教えてくれ。ここまで我が軍が被害を受けたのは、何か余程の理由があるのでは?」
「はっ。仰せの通りです。我が軍は、最初優勢に立っておりました。が、馬がいきなり元気を無くし、動かなくなったのです。毒を盛られたのかと最初は思いましたが、そうではなく、馬の命に別状はありませんでした。その後、馬を使えなくなった我々は、白兵戦で敵の攻撃を凌いで来たのですが、隙をつかれてロージョ様が……。現在、やはり馬は動きません。それどころか中には、敵に向かって走っていってしまう馬もいます。敵は我々の三倍の数になります。かなり不利な状況です」
「ありがとう」
報告を聞いたルイシェは、考え込んだ。
「馬が? 敵に向かって走る……。魅了か、混乱か……」
そして、一言きっぱりとこう言った。
「間違いない、妖術士がいるな」
その声を聞いた軍団長達は、一斉にざわめいた。今まで考えもしなかった可能性だったのだ。
「まさか! デュアグに妖術士がいるなどとは、聞いたこともない」
「バルファン教の手が、アリアーナにまで伸びているのか?」
妖術士。それは、アリアーナ大陸では滅多に見ることのできない存在である。シレネア大陸にある宗教国家ミスクで、国の宗教として信じられているバルファン教。人間の生け贄を大量に要求する故に、アリアーナ大陸の殆どの国においては邪宗とされるバルファン教の僧侶、妖術士がここにいるとなれば、事は重大である。
ルイシェは落ち着いていた。どうすれば勝てるか。彼の頭の中では、計算が恐ろしい早さでなされていた。
そして、最善と思われる策をルイシェは口にした。
「まず、妖術士を無力化する。それから奇襲をかけよう。幸いこちらが川上だ。何とかなる」
「しかし、無力化などできるのか? どうやって」
軍団長の一人が疑問を発すると、同意の声が幾つも上がった。
「妖術士を無力化する方法は……僕が知っている。僕がやる」
静かに、決意を込めてルイシェが言った。ゆら、とルイシェの瞳に炎のようなものが宿る。
鬼気迫るその姿に、テントの中が、静まり返った。
ルイシェは心の中で呟き続ける。
勝たなければならない。
生きなければならない。
約束を、したのだから。