食後リシアが向かったのは、今まで余り好きではなかった、城勤めの学者、ギルビンのところであった。週に三度、リシアはこの古老に国際関係について教えを受けていたのだが、一度として面白いと思ったことはなく、眠気をこらえるのが精一杯だった。
 が、リシアは今、自分の疑問に的確に応えてくれるのは彼しかいないと確信していた。
 学舎は、城の北西に位置する平たい建物である。十数人の学者の研究室と、図書館で構成されている。リシアはその一室の扉をトントン、とノックした。
「はい、どなたかな」
「リシアです。伺いたいことがあるのですが、入ってもいいですか?」
 ギルビンはすぐに現れ、ドアを開けた。今まで本を読んでいたらしく、レンズを目にはめたままである。
「珍しいこともあるものだ。さあ、お入りなさい」
 リシアは恐る恐るギルビンの部屋に入った。物凄い本の量である。壁の周りの本棚に入りきらなかった本が床に積んであるが、どう見ても本棚に入っている量よりも多く見えた。リシアは本の山を崩さないように注意深く歩き、ギルビンの指し示した机の隣の小さな丸椅子に腰をかけた。
「それで、何が聞きたいのかね? 分かる範囲でお答えしよう」
 ギルビンはレンズを外して、リシアに尋ねた。自分の小さな生徒が知的探求心に突き動かされた、というのはこの老人にとって大変喜ばしいことであった。
 リシアは真摯な瞳で質問をした。
「ギルビン先生、イェルト国とデュアグ国が今、マズール地区で戦っています。何故、戦争をするのですか?」
 ギルビンは何故リシアがそのような質問をするのかは分からなかったが、それはとても簡単な答えだったから、すぐに答えた。
「ふむ。マズール地区では少しばかり、金が採れるのだよ。デュアグ国の国境沿いにある地方なので、イェルト国の民とデュアグ国の民が共存している地方だ。が、ここのところ異変が起きている。デュアグの民が大量にマズールになだれ込み、イェルトの民を差別化し始めたのだ」
「差別化?」
「左様。税金を高く掛け、イェルトの民が立ち往かない程にしてしまったのだ。税金の払えない民を奴隷のように扱っているという話も出ているな。それで、イェルトは他国内で自分の民がそのような扱いを受けていることを不服として、デュアグに申し立てをした。デュアグはそれを突っぱねたのだよ。自国内にいる民をどうしようと勝手だと」
「それは、ひどいわ。エルス国の国民が弾圧を受けていたら、やっぱり我が国だって抗議をするわ。何の理由でイェルトの人達を差別するんですか?」
 ギルビンは頷いた。リシアは今まで授業を余り聞いてはいなかったが、元々頭の回転は速い方である。鋭い質問にそれを改めて確認した気持ちであった。
「いい質問だ。その理由こそが、今回戦争にまで発展した原因なのだ。デュアグは他国籍の者が、自分の国で勝手に金を採って儲けるのはいかんと言っている。が、儲かるという程マズールでは金は採れんのだ。そうイェルトが指摘すると、そんな筈はない、イェルトの民が金を隠しているのだという。そこから先は水掛け論になって、ついに堪忍袋の緒が切れたイェルトが戦争を仕掛けたのだ。デュアグは侵略戦争と受け取り、マズールに軍を派遣した、とこういう訳だ」
「そんな理由があったの……」
 リシアは、ひどく納得していた。自分の分からなかった事情が、一本の線になって結ばれた気がした。ルイシェが何故戦争に向かったのも、少し理解できた気がしていた。
「ギルビン先生、ありがとうございます。とても良く分かりました」
 リシアは椅子から立ち上がり、礼を言った。
「おお、もういいのかね。こういう質問なら大歓迎だ。いつでも来たまえ」
「はい、それと、これから授業は真面目に聞きます」
 茶目っ気の溢れる表情でリシアは笑うと、また本を崩さないように注意しながら部屋から出ていった。
 ギルビンは彼女の後ろ姿を見ながら、首を傾げていた。
「この話は、前にリシア姫にはしたような気がしたが……気のせいかな?」
 そして、ギルビンは再びレンズを目にはめ、読書の続きをはじめた。

 その日の夜、リシアは初めてルイシェに手紙を書いた。
  ルイシェへ
  お元気ですか? 今日まで、お手紙怖くて書けませんでした。でも、もう大丈夫。お手紙出します。
  今日、先生に、何故イェルトとデュアグが戦争をしているのか聞いてきました。どっちが正しいのか、よくわからなかったけど、何故戦争をするのかは分かった気がします。
  今も、ルイシェは戦っているのかな。
  毎日、眠る前に戦争の神アーシャル様と、健康と繁栄の女神レーディア様にルイシェを守って下さいってお祈りしてます。
  マズールは寒い地方だと聞きました。どうか、怪我と病気には気を付けてね。
  それでは、またお手紙します。リシア・ウィナード・エルスより。

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