カリカリカリ。ノートを取る音が部屋に響く。
「戦争に勝ったとはいえ、国境線が変わるわけではない。今回の戦争では、両国とも大切な人民を失ったことになる。得た物がそれほど大きいかは、疑問が残る」
 ギルビンの授業を受けるリシアは、熱心に話に聞き入っていた。
「今回はデュアグが喧嘩を売った形になっておるが、わしはここに違和感を感じるのだよ。デュアグはそれ程戦争に長けているわけではない。戦力に自信のあるイェルトに、何故喧嘩を売ったか。そして、何故途中まで優勢に事を進めることができたか。他国の後押しがあったと考えた方が、説明がしやすい」
 リシアは驚いて顔をあげた。
「他国って? 先生、デュアグと友好国家のどこかが、イェルトとの戦争を支持したとおっしゃるんですか?」
 ギルビンは顎髭を撫で、小さな生徒の質問に答えた。
「あくまでわしの私見だがね。しかし、このアリアーナ大陸内でそういう動きがあれば、この国にも噂くらいは伝わってくる。つまり、アリアーナ大陸以外で、デュアグに肩入れをした国があるということだ」
「アリアーナ大陸以外……」
 リシアは地図を思い浮かべた。未踏の地もあるので、世界の全ては把握されていない。リシアが知っているのはアリアーナ大陸と、すぐ北にあるシレネア大陸だけである。
 シレネア大陸の国は良く知らない為、リシアにはよくわからなかった。
「先生、シレネア大陸の国ですか?」
「それに関しては何とも言えないのだよ。その国の名前は、ある程度の予想がついておる。しかし、まだ決定的な情報がないので、決めつけるには時期尚早だろう……リシア姫に固定観念を植え付けるのも良くないからな。さて、そろそろ時間かな。授業を終わろう」
 ギルビンは、自分の本を数冊手に取り、立ち上がった。リシアは、扉の外までギルビンを送った。
「先生、ありがとうございました」
「リシア姫こそ、最近大変勉強熱心でいいことだよ」
 ギルビンの学者らしい顔がほころぶ。
「世界を知ることは、きっといずれ姫のお役に立つ筈。王族であることは、将来国を背負う立場ということ。女性は無知のままで良いという向きもおるが、わしはそうは思わないのだよ。リシア姫がどこかに嫁いだ後も、知識や知恵が邪魔になるということはないだろう。これからもしっかり勉強しなされ」
 そう言うと、ゆっくりとギルビンは学舎に向かって去っていった。
「国を背負う立場、か……」
 自由時間になったリシアは、部屋の中に戻り、ベッドに寝転がりながら呟いた。王女であることは常々意識をしていたが、そのような考え方はしたことがなかった。
 勉強は相変わらずそんなに好きではなかったけれど、確かに、自分は色々なことを知らなさすぎる、とリシアは最近思っていた。ルイシェと会うまでは、言語も同じ近隣国だったにも関わらず、イェルト国のことを殆ど知らなかった。そして、ルイシェのいるイェルトの内情も。
 イェルトには砂漠地帯があるということすら、リシアは知らなかったのだ。だからルイシェの正装が白いローブなのだ、ということに気が付いたのも、つい最近だ。首都イェルティは砂漠地帯から離れたところにあるのだけれど、王族は、大昔は砂漠に住んでいたという。領地を広げた結果今のイェルティ付近も制覇、念願の肥沃な土地を手に入れたと、歴史の先生は言っていた。
 リシアは行ったことのないイェルト国のことを、想像した。
 もう、夏も終わりだというのに、その後、ルイシェから手紙の返事は来ていなかった。ルイシェに会ったのが初夏の頃だから、もう数ヶ月が過ぎてしまったことになる。
 リシアはベッドに寝転がったまま、窓の外に広がる空を見た。空を眺める癖がいつの間にか身についてしまっていた。空は、いつもリシアの心を癒やしてくれた。
 リシアの知っている限りでは、ルイシェは次期国王として、今まで兄が受けていた教育を全て代わりになって受けている筈だった。それだけでも、大分忙しくなるだろう。それに、兄の喪もまだ服している時期の筈である。手紙どころではないのは、事情だけ見ても理解できた。
「もう、遊ぶことなんかないんだろうなあ……そんな時間ないものね」
 ルイシェがいきなり大人になって、遠い世界に行ってしまった気がしていた。しかし、リシアはそれで悲しむことはしなかった。
「仕方ないよね。立派な王様になる為だもの」
 にっこりと微笑む。ルイシェが治めるならば、きっと良い国になる、とリシアは思っていた。他国の事情に詳しい、ギルビンや他の学者達も、ルイシェが次期国王になったことに関して、皆、肯定的な発言をしている。
 リシアも王女だから、国民の為に尽くさねばならないということを、小さい頃から母と父に叩き込まれている。それは、王女である以上、王族である以上当然でなければならない、と。
 将来……、とリシアは思った。
 もし、将来ルイシェと会うことがあるのならば、その時は見違えるように素敵な女の子になりたい。一国の王女らしく、知的で、どんな話でも楽しくすることができるようになりたい。ルイシェが自分と一緒にいることが嬉しいと思ってもらえるように。ルイシェの言葉が全部わかるように。
 リシアは勢い良くベッドから降りた。
 青銀色の、柔らかな癖のある髪の毛を軽くブラシで梳かす。
「私も頑張ろう! 王女なんだから。王女らしく生きなくちゃ」
 その蒼い瞳が、生き生きと輝いていた。

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