エクタは条件反射で引き攣った笑顔を浮かべ、本能で上体を仰け反らす。レイナは、年甲斐もなく妙に男に媚びたところがあり、それがエクタには気持ちが悪かったのだ。
「ほら、ライク、あなたも挨拶なさい」
母に急かされ、十歳程の少年は何も考えていない顔つきで、エクタの右手を取り、握手をした。棒読みで、教え込まれたらしい台詞を口にする。
「だいさんおうじのライクです。よろしく」
「まあまあ、すっかり仲良くなって! 良かったわねえ、ライク」
レイナ王妃が二人の肩を抱く。余りの馴れ馴れしさに度肝を抜かれっ放しのエクタは、すっかり硬直していた。
「私にはもう一人、ロージョという息子がいたのですが、先の戦争で命を落としまして……気落ちしておりますのよ。この子がいなければ、私どうなっていたか……エクタ様、どうか私達にお力添え下さいまし」
エクタの肩を抱いたまま、耳元で含むように、いかにも哀れっぽく囁く。いかにも自分は上品な人間です、という話し方が鼻についた。
「そ……それはお気の毒に……」
「まあ、何て優しいのでしょう。ふふ、流石大国エルス国の王子でいらっしゃるわ」
逃げるにも逃げられず、途方に暮れていると、部屋の扉がトントン、と叩かれた。
「はい、今開けます!」
救いの手が伸びた、とばかりにエクタはレイナの腕から逃れ、扉を開ける。
そこに立っていたのは、エクタがこの国で会うのを一番会うことを楽しみにしていた、かつて妹を救出する為に一緒に戦った少年だった。ルイシェは、エクタの顔を見てにっこりと笑った。
「やあ、エクタ。久しぶりだね。イェルト国にようこそ」
「ルイシェ! 久しぶりだな、会いたかったよ。腕を折ったんだって? 調子はもういいのか?」
「ああ、もうすっかり。もう、一年近く経ったしね」
久々とはいえ、二人とも昨日別れたばかりのように親しげに会話を交わす。わざとらしい咳払いが聞こえなければ、エクタはすっかりレイナ達のことを忘れていたであろう。
エクタはレイナに軽く礼をした。
「レイナ殿、失礼しました。ルイシェ殿とは、前に条約締結の際、懇意にして頂いて……」
「エクタ王子、老婆心ながら忠告させて頂きますわ。そのような者とお付き合いになると、エルス国王家の品位が疑われましてよ。今から是非私のお部屋に遊びにいらして下さいな。滅多に入らない素晴らしいお茶が手に入りましたのよ」
遮るように、甘い声で誘いをかけるレイナ。
レイナはルイシェを許すことができなかった。身分の低い母から産まれながら、王子と名乗る不届き者、それだけでも充分我慢がならなかったのに、今や彼がこの国の次期国王である。貴族……しかも公爵家出身であるこの自分の子供を差し置いて、そのようなことが許されて良いわけがなかった。キッとルイシェの顔を睨み付ける。
エクタは、表情には出さずとも、その言葉と雰囲気でレイナとルイシェの関係を察せざるを得なかった。レイナに向かい、頭を下げる。
「レイナ殿、申し訳ありませんが、ルイシェ殿に外せない用事があるのです。またの機会に、ということで宜しいでしょうか?」
礼を崩さないその態度に、レイナは少し蔑むような笑顔を浮かべた。
「あら、そうですの。わかりましたわ。では、私共はこれで失礼いたします」
つん、と顎を上げ、息子の手を引き、客室から出ていくレイナ。ルイシェと擦れ違う時に、険しい目つきで睨み付けることは忘れなかった。
廊下に出たレイナは、嬉しそうにルイシェを部屋に迎え入れるエクタを横目で見ながら、ぶつぶつと不機嫌そうに呟いた。
「ふん、あれでエルス国王子を取り込んだつもりなのね。流石あの女の息子だわ。油断も隙もあったもんじゃない。国内のバックアップがないのなら、海外のバックアップをと言う訳ね」
いつもの母の愚痴を聞きながら、息子のライクは何も考えていない顔つきで指をしゃぶり始める。
「ライク、おやめなさい。ロージョも私の言うことを聞かなくて困ったけれど、あなたは別の意味で困ったわね。まあ、いいわ。私の言うことだけをようく聞いているのよ」
こくりと頷くライク。虚ろな目には、自分の意志というものは見られなかった。
「今は時期尚早だわ。あなたがもう少し大人になってから、あいつを蹴落とせばいいのよ。あなたが、次期国王になるの。そして……」
レイナは凄絶な憎しみのこもった笑みを浮かべた。隣にいるライクにすら聞こえないような低い声で囁く。
「あの女と、あの女を選んだ男に、復讐を……」