久しぶりに会ったエクタとルイシェは、向かい合って座り、古くからの友人のように打ち解けていた。明るい声が行き交う。
「ルイシェ、大分背が伸びたんじゃないか? この前は僕より少し背が低かった気がする。声も前に会った時よりも大分低くなったよな?」
「お互い様だろう? エクタも、前会った時より大人に見える」
 二人でひとしきりじゃれあい、笑った後、ルイシェが不思議そうに尋ねた。
「それで、僕に外せない用事っていうのは?」
 エクタは蒼い瞳をきらめかせ、悪戯っぽくウィンクをした。
「ああ、あれは、ちょっと大げさに言っただけだよ。正直、あの人に少し辟易していたから。用事は、伝言。いいか、良く聞けよ」
 こほん、と咳を一つしたエクタは、横を向いて、まるで女の子のように、伸びた髪の毛をかき上げる仕草をした。
「『ルイシェに本当に宜しく言ってよね。あーあ、兄様はいいなあ、ルイシェと会えるんだもの。いい? 兄様、ルイシェにリシアは元気ですって伝えてよね』……以上、リシアからだ」
 リシアの真似をして、ルイシェを笑わせるつもりだった。
 しかし、数秒経っても笑いは返ってこない。不審に思ったエクタは、ルイシェの顔を覗き込んで驚いた。
 ルイシェは笑っていなかった。それどころか、その黒い瞳が辛そうに伏せられている。エクタは自分が何か失敗をしたらしいことに気づき、すぐに謝った。
「すまない。下らないことをした」
「ごめん、君のせいじゃないんだ。少し……リシアのことを思い出すのが、辛くて……」
 無理に微笑むルイシェは、痛々しい程打ちひしがれて見えた。エクタは、問いかけずにはいられなかった。
「リシアが何かしたのか? 悪いことをしたなら、謝らせるから」
「違うんだ、リシアは何も悪くない」
 首を大きく振り、激しい口調で言うルイシェ。しかし、一瞬後にその口調を後悔するように、深く溜息をつく。
 エクタには、ルイシェが何かに迷っているのがわかった。黙って、ルイシェの動向を見守る。
「エクタ……話を聞いてくれないか? 君くらいしか、話せる相手がいない」
 縋るように漏らすその言葉を、エクタは穏やかに受け止める。
「ああ、勿論だ。僕でよければ。……何か、余程のことがあったんだな?」
 救世主に巡り会ったかのように、すうっと、ルイシェの伏せられた瞼が上がった。思い詰めた光が黒い瞳に宿っているのが見える。
 優しいエクタの視線に促され、ルイシェはぽつりと言った。
「前の戦争で……人を殺したんだ」
 両手を堅く組んで、顎に当てる。重い口が徐々に滑りはじめる。
「戦争だから、当たり前のことかもしれない。だけど、僕の初めて殺した相手は、最後に女性に許しを乞うて死んだ……家族か、恋人か、妻か。僕は……誰かの大切な人間を殺した。その会ったこともない女性が、リシアと重なるんだ。僕を待つと言ってくれたリシアと。待っている人を持つ人間を殺した僕は、リシアに、会わせる顔がないんだ……」
 長い、長い溜息。その後の重い沈黙。
 エクタは、そっと立ち上がって客室の窓を開け、外を眺めた。舞い上がる砂で、黄色みがかって見える空の色に、ここがイェルトであることを思い出す。ルイシェは、イェルトには向いていない人間なのかもしれない、と思った。
「そんなことがあったなんて……僕も同じ立場になったら、同じように悩むよ」
 慎重に言葉を選びながら、エクタは言った。
「自分の良心が納得するまで、悩むしかないのかもしれない。ただ、リシアは待つと言ったのなら、君を待っている。そういう奴だ」
 雲一つない空に浮かぶ太陽を眩しそうに見上げながら、エクタは不意にくすりと笑った。
「君に会ってからさ、リシアがいきなり苦手だった国際関係の勉強にのめり込んでいるんだ。剣も習い始めた。髪も伸ばし始めたし、酷くお洒落にうるさくなった。急に女の子らしいことを言うようにもなったよ。君の為に一生懸命変わろうとしているんだ。兄としては複雑な気持ちだよ」
 ルイシェは、信じられないといったように、ゆっくりと顔を上げた。
「リシアが、僕の為に?」
「うん。今の君には、リシアのことは少し重荷かもしれないけれど、知っていて欲しい。リシアは殺してしまった相手ではなく、君が好きなんだよ。勿論、僕もね」
 エクタの暖かい言葉が、ルイシェの心に沁みていく。ルイシェは、しっかりと頷いた。
「ありがとう。今はまだ、気持ちの整理がつかないけれど……いつか、僕がどうすればいいのかがわかったら、リシアに連絡をするよ」
 エクタは破顔した。ルイシェの顔にも、漸く微笑みが訪れる。
「リシアには、君が悩んでいることを話してもいいかな?」
「いや……いずれ、僕から話すよ。今は彼女を傷つけてしまっているかもしれないのが心苦しいけれど……」
 あくまでも他人を気遣うルイシェに、エクタは胸を打たれた。
「あんまり無理するなよ。君は、少し自分のことを考えた方がいい。リシアなら大丈夫だ。僕が何とか理由をつけておく」
「すまない。リシアに、宜しく伝えてくれ」
「ああ、その一言だけでも、リシアは喜ぶさ」
 そしてエクタは、何事もなかったかのように話題を変えた。
「ところで、来る途中見かけたんだけれど、大きい建設中の建物があったろ、あれは……」
 ルイシェはエクタの気遣いに心から感謝していた。リシアが心の支えであるように、エクタもまたルイシェにはかけがえのない人間であった。
 この国で、ルイシェは母と乳母家族以外、心から気を許せる相手がいない。そして、家族にはこういうことを語ることは、できなかった。
 家族より遠く、しかし親しい誰かに悩みを話しただけで、こんなにも心が軽くなるものだということを、ルイシェは初めて知った。今、助けられたことを、一生忘れまい、と心に誓った。
 エクタもまた、ルイシェがこの国で優遇されていないことを、改めて知らされた気持ちになっていた。自分であれば、とても耐えられそうにない状態を、ルイシェは他人に対する愚痴一つこぼさず過ごしている。もし、自分が役に立つのであれば、そんなに嬉しいことはない、とエクタは思っていた。
 二人の友情はここに更に確固たるものとして結び直され、そして将来、激動の中でも国を動かす程の力となっていったことを、少年達はまだ知る由もない。

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