〜過去と未来を繋ぐ午後〜

 若きレイオス・エルス公爵家当主、テイルは穏やかな午後の昼下がりを楽しんでいた。
「あー、いい天気だなー」
 何事もないことは良いことである。テイル付きの双子の若い侍女、ルルゥとリリィがお喋りをしながら自分が破った服を繕うのをのんびり眺め、これ以上ない程弛緩しまくってソファーにもたれるこの幸福。
「平和だなあ」
 首の位置を変えながら、満足しきって漏らす。少し退屈なくらいの平和も、たまには良い。そろそろセリスでも呼んで遊んでやるか、と思いつつも、この珍しく落ち着いた光景の中にもう少し溶け込んでいたい気もする。
 ルルゥとリリィは、主人のだらけきった姿を見てくすくす笑い合った。
「ご主人様、お暇なら手伝って下さいよう」
「そうですよう。ご自分で破った服ですもの」
 年より若く見える、見分けのつかないそっくりな顔で、声を揃えてテイルを揶揄る。
「君達ねえ、いちおう俺がご主人様なんだから。主人に自分の仕事を押しつけるんじゃないの」
「まあ、横暴」
「女の子に嫌われちゃいますよう」
 口を尖らせ、文句を言う双子に構わず、テイルは大きな欠伸をした。
「あー、平和だなあ。ちょっとは何かがあってもいいかもなあ」
 こういうことを言っているから、この男はいつも貴重な平和を逃してしまうのかもしれなかった。その証拠に、そう呟いた途端。
 全く予測していなかった「何か」は唐突に、騒音と共にやってきた。
 バターン、と大きな音を立ててテイルの扉が開かれる。扉は勢い余って壁にそのままぶつかり、ノブで壁を削り上げた。
「な、なっ?」
 突然のことに度肝を抜かれ、ソファからずり落ちたテイルの鼻先に、ぐい、と人差し指が突きつけられた。見慣れた、忘れようもない不穏な笑顔。
「それが久しぶりに会った家族に対する挨拶かい?」
 女性にしては低い、ハスキーな声。ばっさりと肩で切りそろえたアッシュ・ブロンド。
「あっ、姉上っ?」
「ご名答。あんたの鳥頭でそれだけ覚えてれば、まあ上等か」
 皮肉っぽくクッと笑うと、鍛え上げた美しい身体を持つテイルの姉は、大きなテイルをいとも簡単にソファから叩き落とし、代わりにどっかりとソファに座り込んだ。
「きゃああ! ミリア様だわっ」
「ミリア様、お帰りなさいまし! 一体、何年ぶりでしょう?」
 ルルゥとリリィが時ならぬ訪問者に黄色い声をあげて色めき立つ。
「おっ、ルルゥとリリィか。ただいま。元気だったかい?」
 まるでマタタビを嗅いだ猫のように、自分の侍女達がミリアに擦り寄る姿を苦々しく眺めながら、テイルは床から身を起こし、腕組みをして胡座をかいた。
「で、義兄上に離縁でもされてここに来たんですか?」
「誰に物を言ってるんだい? んな訳ないだろう。今日はたまの里帰りさ。ニィ国も今は平和だしね、たまには親孝行と思ってさ」
 口ではそういうことを言っているが、多分退屈しのぎなのだ。時を同じくして、姉も平和になってしまったのであろう。そして姉は、何もない暇な時間が耐えられない人間である。
 テイルはがっくりとうなだれた。確かに平和で退屈すぎるのはつまらないが、これでは平和がぶち壊しである。
「で、お茶は?」
 当然のようにテイルに向かって要求するミリア。テイルはささやかな反抗を行った。
「お茶を入れるのは、侍女の仕事の一つです。俺は侍女の仕事を奪ってしまうほど、酷な人間ではありませんよ」
「おや、それは自分が侍女以上に仕事をしている人間だけに許される台詞だね。少なくともソファでだらけてた人間の言っていい言葉とは思えないけど?」
 辛辣に発せられた言葉と、双子の侍女の「そうですよう」という声がテイルを責め立てる。
「くそっ、わかりましたよ……お茶を入れればいいんでしょう?」
「そういうこと。ああ、あんたの為に働いてる、ルルゥとリリィの分も忘れるんじゃないよ」
 むかむかと腹は立つものの、ここで逆らえばどういうことになるのか、テイルは考えたくなかった。
 今では腕力では勝っているのは確実なのだが、成長期前に彼女から受けた、捻挫・骨折当たり前という剣の訓練の凄まじさは、未だにテイルのトラウマになっている。
 平和なエルス国に生まれながら「アリアーナ大陸の戦姫」と異名を取り、テイルが成長期を迎える頃家を飛び出し、各国を傭兵として彷徨った挙げ句、とんでもない人物の許に嫁に行った姉。足りない腕力を、相手の次の行動を見切ることでカバーするその剣の腕は、一流の武人からも一目置かれている。
 渋々と席を立ち、厨房へと向かったテイルを見て、ミリアは彼には見られないようにクスリと笑った。
 パタン、と扉が閉まってからルルゥとリリィが尋ねる。
「ミリア様、何で今お笑いになったんです?」
「いや、テイルも少しは大人になったかなと思ってね。昔のあいつだったら、あたしがあんなことを言ったら、嫌だとか言って、頑として動かなかったろう?」
 ルルゥとリリィは顔を見合わせて、そういえば、と声を合わせた。
「やだねえ、テイルが大人になるようじゃ、あたしも年を取るわけさ。……ところで、あいつ、浮いた話とかは相変わらずないのかい? もう二十代も後半に入ったんだ。そろそろ、そういう話があってもいい頃だけどね」
 ミリアの質問に、双子の侍女は揃って首を横にぶんぶんと振った。
「ぜーんぜん、ないですよう」
「ほんとに。セリス様が彼女みたい」
 良く知った、しかし予想もしなかった名に、ミリアの表情ががらりと変わった。
「セリスだって? あの、ユーシス家の? テイルと仲がいいのかい?」
 半分、茫然としながら尋ねるミリアのその驚きぶりに、ルルゥとリリィは目を丸くして頷いた。

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