〜金と銀と綿菓子と〜

 妹のいない城。
 エクタは、それにまだ馴染めずにいた。
 今まで、城のどこかで響いていた彼女の笑い声や話し声。それを、探してしまう。
 いなくなると頭ではわかっていても、体はそう簡単に納得してくれないのだ。仕事の忙しさで少しは淋しさを紛らわすことはできたが、城全体の雰囲気が、明らかに変わっていた。
 今のように仕事が片づいてしまった後は、否が応でもそれを感じてしまう。
「たった一人いないだけで、こんなに変わるものかな」
 苦笑気味に金色の頭を左右に揺らし、エクタは執務室を出て、リーザを探した。
 リーザはまだ、エルス城に残っていた。リシアの侍女として採用されたから、リシアが嫁いだ時点でその役割は終えている。実際、リーザは市内にある自分の実家に戻ろうとしたのだ。だが、エクタやイーク王をはじめ、城内の人々の強固な熱望で、現在も侍女をしている。
 いつも見かける厨房や洗濯場に顔を出し、リーザがいないことを確認すると、エクタは溜息をつき、真っ直ぐにリシアの部屋を目指した。
 リシアの部屋。それはエクタの私室の隣にある。勿論、リシアが嫁入りをしたことで不要になった部屋なのだが、誰もその中を変えようとはしなかった。南側に大きな窓のある、日の一杯に差し込む部屋。それは、リシアを思わせる空間でもあったからだ。
 エクタはノックをし、静かに妹の部屋に入った。
 思った通り、リーザは部屋の中にいた。いつも綺麗にしている栗色の髪がほつれ、頬に悲しげに一筋かかっている。美しい顔が少し、面窶れしたように感じられた。リーザはすぐにエクタに気づき、髪をすっと整えると笑顔を見せた。
「どうなさいました、エクタ様?」
「うん。ちょっと外出をしようかと思って」
 そう言いながらも、エクタはソファに座った。リーザも、書き物机の椅子にストン、と腰を下ろす。二人は顔を見合わせて、苦笑した。
「変ですよね。喜んでいるのに」
 リーザのぽつりと言う言葉が、エクタには自分の発した言葉のように思えた。
「慣れるまで、ゆっくり時間をかけよう、リーザ」
 自分にも言い聞かせるように明るく言ってから、エクタは少し歯切れの悪い口調で尋ねた。
「出過ぎたことを聞くけれど……何故、リシアと一緒に行かなかったんだい? 宿屋のお父上、お母上のことが心配なのはわかるけれど……」
 リシアがリーザに来たがってもらっているのは一目瞭然だったし、リーザもまた、リシアの側にいたいという表情がありありだった。実際今も、時間さえあればリシアの部屋でぼうっと過ごす彼女がいる。
 リーザは、ふ、と小さな溜息をついた。
「……リシア様の為でもあり、私の為でもあるのです」
 小さく答えた言葉の中に、それ以上の意味がある。エクタはそう感じた。
 これ以上、自分の立ち入っていいことではない。空気を変えるようにソファから立ち上がり、リーザに向かって笑顔を見せる。
「ユーシス家で、本でも読んでくるよ。あそこは静かで落ち着くから」
 リーザも口の端に笑みを浮かべ、立ち上がる。
「はい、わかりました。行ってらっしゃいませ。私も、そろそろ仕事に戻りますわ」
 二人はリシアの部屋の前で別れた。

 ユーシス家のある銀蟾(ぎんせん)城、ユーシス城は、ネ・エルス市内の中でも、一際静かな場所に立てられている。銀蟾とは月の別名である。その名の通り、美しい神秘的な趣が感じられた。
 滅多に呼ばれることはないが、エルス城もこれに比し、金鴉(きんあ)城と呼ばれることがある。金鴉は太陽を差すから、太陽と月と洒落をきかせているのだろう。
 エクタは、城を守るように密に生えた木立の中、馬を進めた。まるで森の中を通っているような、そんな雰囲気だ。人ならざるものがいつ出てきても、おかしくない……。
 そう思った時に、前方に人影が見えた。その姿が見慣れたものなのに余りにも現実離れしているので、エクタは目をしばたいた。
 銀色の髪が、風にさらわれて空中でキラキラと舞う。白い肌が周囲の緑を投射して、透き通ってさえ見える。性別などどうでも良いかのような。まるで、精霊そのもののようだ、と思った。
 猫のような形をした目がエクタを捉えた。その瞳の色も、鮮やかな翠だ。
 口端が苦笑気味に持ち上げられなかったら、エクタはもっと見とれていたかもしれない。
「セリス! 僕が来るのがわかったのかい?」
 我に返り、遠縁の従兄に声を掛ける。
「まあな。最近やることがねーせいか、精霊達がどーでもいいことまで連絡してきやがる」
 形の良い花びらのような口から洩れたのは、いつもながら容貌とのギャップの激しい、貴族とはとても思えない乱暴な口調。相変わらずだな、と笑って用向きを告げる。
「本を読ませてもらおうかと思ってね。ここにはいい本が沢山あるから」
 セリスはすうっと目を眇めて、馬上のエクタを眺めた。
 口には決して出さないが、痩せたな、と思った。端正な顔の、頬の辺りの影が濃い。それにいつもの辺りを包み込むような明るさが消えている。妹が家にいなくなったことが、かなり堪えているのだろう。しょうがねーな、と口の中で呟く。

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