「悪ぃな。今、図書館の方は入れねーんだ。大がかりな整理の最中でな」
「そうだったのか。いや、僕も暇を持て余して、急に気が向いただけだから」
「そうか。なら、少し付き合っていけ」
無愛想にそれだけ言うと、答えも待たずにセリスはエクタに背を向けて、城に向かって歩き出した。エクタは慌てて馬を進ませた。
城の中に連れ込まれたエクタは、ユーシス家の年老いた侍女に連れられ、訳の分からないままに衣装室で、平民が身に纏うような、豪華さは全くないが清潔で身軽な服を着せられる。
一緒に当然のように着替えているセリスに向かって、エクタは困惑の声を上げた。
「セリス、これは……?」
「見りゃわかるだろ。お忍びだよ、お忍び。市場で欲しいものがあってな」
「い、市場?」
「おう。お一人様五個限りなんだよ。二人で行きゃ、十個買えるだろ?」
一体何を、と問うエクタには答えず、セリスは長い銀色の髪をさくさくと三つ編みにし始めた。
「市場で並んで限定品買ってる貴族なんてみっともねーからな。お忍びで行くわけよ」
「え、並ぶの?」
「当然」
今までエクタは、城下町にお忍びで出たことが殆どない。リシアがお忍びで出た時に探し回ったくらいである。無論、市場に行く機会も余りなく、行ったとしてもお忍びではないから、辟易する程に丁寧に扱われ、並んだことなど一度もない。
「セリス、お前こんなこと、いつもしてるのか?」
半分呆れて半分おかしくて、笑いながらエクタが尋ねると、セリスは涼しい顔で頷いた。
「まあな。目立つのは好きじゃねーんだ」
「充分目立つと思うけれどね」
エクタはセリスを見て、正直に述べた。
神秘的な面立ちに、銀色の髪。女性かと見まごうばかりの美しさは、庶民の服を着たところで隠しようがない。
「てめえだってそうだろーが。人を棚上げするな」
「そ、そうなのかな?」
実際、エクタも庶民にはとても見えなかった。明るい金髪、抜けるように蒼い瞳。端正な男性らしい顔立ちに浮かぶ表情、そして立ち居振る舞いには、育ちの良さが滲み出ている。
「貴族の服着て、市場で馬に乗ってるよりは、よっぽど目立たねーってことだよ。それより準備ができたようだな。そろそろ行くぜ……っと、これを忘れるところだった。持っとけ」
セリスは小さな革袋をエクタに向かって放った。エクタが慌てて受け取ると、チャリン、と音がした。中を覗いてみると、硬貨が数枚、入っている。庶民の小遣い程度の額。
「これは?」
「好きに使ってくれ。庶民の金銭感覚がわかるのも、王子としては大切なことだと思うぜ」
セリスの茶目っ気に、エクタはくすりと笑う。貴族でありながら、貴族と交わることを好まないセリスらしい。それ以上は何も問わず、有り難く受け取った。
二人はそのまま、徒歩で城を出た。市の立つネ・エルス中心部までは、歩いて三十分程だ。
空は青く澄み渡り、気候も暑くもなく寒くもなく、心地が良い。ゆうるりと爽やかな風が通り抜け、二人の金と銀の髪を揺らした。
通りすがる人々は一様に、賞賛の眼差しを二人へ向け、溜息をついている。が、二人は気づかずに、四方山話に花を咲かせながら市場へと向かった。
エルス国ネ・エルス市の市場は、アリアーナ大陸……いや、北のシレネア大陸でも知らぬ者がいないほど、大きな市場である。大陸や、近隣諸島の品々が溢れている。色とりどりの果物、目にも綾な布、美しい装飾品に日用雑貨……。
むっとするような人いきれの中を、エクタとセリスは歩き回っていた。混雑する場所へ殆ど足を踏み込んだことのないエクタがすぐに人に流されていってしまうのを、セリスが手首を掴んで目的の店へ向かう。
「ったく、だらしねーな。もっと目的もたねーと、あっと言う間に迷子だぜ? いや、子供じゃねーから迷い人だ」
「す、すまない。流れに逆らうと、迷惑する人がいるんじゃないだろうかって、つい考えてしまって」
口よりも遙かに心配して説教するセリスと、辺りの様子に目を奪われながら手を引かれていくエクタ。傍目に見れば、気の強い彼女と育ちの良い彼氏である。
「ねえ、見て、あの人達……美男美女カップルよねえ」
「ほんと。やっぱり、美人と美男は結ばれる運命なのかしらね」
年頃の娘達が声をひそめもせず、きゃあきゃあと通りすがり際に騒いでいく。それを聞いていたセリスの表情が、みるみる苦虫を潰したようになった。エクタはそれを見て、下を向いて笑いを堪える。
「人の声聞いてねーのかよ。どう聞いても男の声だろうが」
苛立たしげに呟くセリスの声を、エクタは聞いていなかった。
「……セリス」
下を向いたまま、セリスに引きずられながら、呆然と声を掛ける。
「ああん? 何だよ。てめーももうちょっとしっかりしろよ」
しかし、エクタはそれに反論せず、困った表情でセリスの顔を見つめる。
「……この子、誰?」
「はあ?」
ようやくエクタの異常に気づいたセリスが、エクタの指先に目を向けた。そしてセリスもまた、その眉をぴくりとさせた。
そこには、小さな女の子が、エクタの腰の辺りの布をしっかりと掴み、二人を睨み付けるようにしてついてきていたのだ。
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