慌てふためいたセリスは、困り果てた表情のエクタと少女を、人気の少ない路地裏に引き込んだ。少女はその間も据わった目をして、エクタの服の裾を離そうとしない。
「ねえ、そろそろ離してくれてもいいんじゃないかな。追い払ったりしないから」
 エクタがそっと少女の手に自分の手を重ねて力を入れると、少女はエクタの顔を無言で睨みながら、服を離した。
 年は五、六歳くらいであろうか。気の強いのが、ぱっと見て分かる顔である。ひよこ色のぽわぽわした髪、茶色のくりくりとした目。垂れそうなくらいぽちゃぽちゃの、リンゴの色の頬。そばかすが顔一面に浮いている。
 エクタは腰を屈め、少女の目線と自分の目線を合わせると、笑顔で尋ねた。
「どうしたの? 迷子になったのかな?」
 今まで、相当我慢して感情を殺していたのだろう。少女はいきなり唇をぐっとへの字に曲げた。続いて顔がくしゃっと歪む。
「うぁああああん!」
 突然の、超音波のような大号泣。体からは想像もつかない声の大きさに、エクタとセリスは一斉に体を仰け反らせ、耳を塞いだ。
「な、何だよ、いきなり泣きだしやがって!」
「きっと迷子だっていうの、当たってるんだよ!」
 少女の泣き声に負けない声の大きさで、二人は会話を始めた。
「セリス、時間はまだあるんだろ? この子の親、探してあげようよ」
「わかってるよ。それより、こいつを泣きやませろよ。お前、そういうの得意だろ?」
 セリスがたまらない、というように少女を見つめながら叫んだ。
 確かに、セリスよりは自分の方がそういうのには向いているかもしれない、と思ったエクタは、覚悟して少女の真っ正面に座り直した。
 少女の泣き声が、少し弱まった。少女は、目の前の青年が、その宝石のような蒼い瞳を自分に向けたのに気づいたのだ。見たことのない程の綺麗で整った顔が目の前にある。
 その青年の綺麗な手が伸び、少女の頭を撫でた。
「よしよし。怖かったんだね。お兄さん達が一緒にお父さんとお母さんを探してあげるから、泣かないで。僕はエクタ。こっちはセリス。君の名前は?」
 本名を全くの躊躇もなしに教えてしまうエクタに、セリスが片手を目に当て、天を仰いだ。エクタといえば王子の名であることを、そしてエクタが金髪碧眼であることを思い出すのは、そう難しいことではない。
 しかし幼い少女は、まさか目の前にいるのが王子とは夢にも思わなかったらしい。しゃくりあげながらも、自分の名前を必死で告げた。
「うえ、ミ、ミーファ」
「ミーファか。いい名前だね。君にぴったりだ」
 エクタという青年は、うっとりするような笑顔でにっこりと笑った。見惚れて、ミーファの涙が止まる。ほっとしたように、エクタは瞬いた。二人の間に、しばし柔らかな空気が流れる。
 が、そこで混ぜっ返す馬鹿な男がいた。セリスだ。
「エクタ、ばっかだなー。そいつミーファじゃねーよ。ウエミミーファだって。そう言ったじゃねーか」
 キッ、とミーファの顔がセリスに向けられる。一瞬また泣くのでは、という表情を見せてから、ミーファは猛然とセリスに向かって走り出した。怒りを、涙よりも優先したらしい。
 物も言わず、ミーファはボカボカと小さな拳でセリスの足を叩き始めた。
「いてっ、いてえって! 冗談だよっ。悪かったって。ミーファだろっ! ミーファだなっ?」
 膨れっ面で手を止めたミーファは、くるりと後ろを向くと、エクタの側に駆け寄った。男らしい肩に隠れ、顔だけ突き出して、セリスに舌を思いっきり出す。エクタが慌ててミーファの機嫌を取る。
「揶揄うからだよ、セリス。ごめんね、ミーファ。ああ言ってても、悪い奴じゃないんだ」
 ミーファは拗ねたようにエクタの背中にもたれかかり、納得できないことを示す。困ったね、と苦笑してセリスを見ると、気にも留めない様子でからからと笑っている。セリスはいつまで経っても悪ガキのようなところが抜けないところがある。
「さてと、親御さんをどうやって探そうかな……ミーファ、君は自分の住んでいる場所、言えるかな?」
 背中に張りついているミーファに向かって、エクタは優しく問いかけた。ミーファが一生懸命に考える仕草をする。
「んと、んとね。ネ・エルス」
 自信なさそうに答えるミーファ。この市全体を差されても探しようがないのだが、エクタはそんなことはおくびにも出さず、ミーファを誉める。
「良く知ってるね。じゃあ、近くにあるお店の名前とか、わかるかな?」
「んとね。んと、パンやのハウエンさんにねー、ミーファおつかいにいくよ」
「偉いね。他にはおつかいに行くの?」
「えーとね。やおやのディンセルさん。ミーファがいくと、あめくれる」
 上手く聞き出しはじめたエクタの前で、セリスがミーファには分からぬよう空に視線を送り、指先をつい、と動かした。
「そんで、あめもらったらね、ミーファおとうとにも、わけたげるよ。のどつまらさないように、みてるの」
「そうか、ミーファはお姉さんなんだね。いいお姉さんだね」
 何でも話を聞いてくれ、誉めてくれるエクタに、ミーファはまるで迷子になったのを忘れたように、色々な関係のないことをぺらぺらと喋りだした。それでもエクタはにっこりと微笑んで、心地の良い相づちを打っている。

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