精霊がセリスに教えた場所は、市場から少し離れた、民家の建ち並ぶ平和な一画だ。犬が雀に向かって吠え、猫がのんびりと昼寝している。ひらひらと舞う洗濯物が、のどかな風景を更に強調していた。
家が近いのだろう。ミーファがとても嬉しそうな顔をして、そわそわしはじめた。セリスがやれやれ、と言いながらミーファを肩から下ろす。
「あっ、ミーファ、ここしってる! ジョルトのおうち! そんでむこうにはね、『しんこんさん』がいるよ。ミーファんちは、そっちなの」
夢中になって近所を紹介しているミーファには気づかれないよう、セリスがそっとエクタをつついた。エクタが気づくなり、物言いたげな視線を送る。
すぐに、セリスが何が言いたいのか、エクタにもこの時はよく分かった。
このくらい小さい子なら平気だろう、とミーファには名前を告げた。が、大人になればそうはいかない。王子に似ている同じ名前の人、では済まされないだろう。喋れば、貴族独特のイントネーションも出てしまう。すぐに、ばれてしまう。
切なげな目をして、エクタはそっと溜息をついた。
「……ミーファ」
「なあに?」
すぐに返ってくる純真な反応に、胸が痛む。エクタはそれを堪え、優しい笑顔を浮かべた。
「ここから先は、もう帰れるね?」
「うん、かえれる」
「じゃあ、僕達はここでお別れしてもいいかな」
「え?」
ミーファがきょとん、とする。しかし会話の内容を理解した途端、ミーファの口がとがった。我儘を言う顔つきである。
「やだ。いっしょに、ママのとこいく。エクタとセリスとママ、あわせるんだもん」
「君のママに、僕も会いたかったけれど……でも、僕達もう、行かなくちゃならないんだ」
「どうして?」
全然納得のいかない表情で、ミーファはエクタの服をぎゅうっと掴む。気の強そうな顔が、一歩も引かない、と言っているようだった。
エクタは困ってセリスに顔を向けた。セリスは小さな溜息をつき、ミーファの顔の側に自分の顔を寄せると、声のトーンを落とした。
「あのな。ミーファ、お前、秘密守れるか? 誰にも喋らないって誓えるか?」
「ひみつ? まもれるよ。ミーファ、いっぱいひみつまもってる」
ミーファが自信満々で頷く。
「よし。それなら、こいつの秘密を知りたいか? 決して、誰にも話しちゃいけない、凄い秘密だ」
セリスはそう言うなり、エクタを指さした。セリスが何をするつもりかわからなかったが、エクタはとりあえず成り行きを見守る。
ミーファは、大好きなエクタの顔をじっと見つめた。秘密が守れるかどうか不安ではあるが、エクタの秘密ならば聞きたい。その葛藤に幼い心が揺れているのが、二人にはよく分かった。
それでもミーファは、小さな口を横に引き結び、頷いた。
「うん、しりたい」
セリスはゆっくり頷くと、更に声を低くしてミーファに告げた。
「実はな、ミーファ。このエクタは、王子だ」
「セリス!」
まさか本当のことを話すと思っていなかったエクタは、慌ててセリスを止めようとした。だが、セリスは手でエクタを制止し、続ける。
「エクタ王子は城を勝手に出てはいけねえ。そりゃ窮屈で大変だぜ。だから、今日は精霊である俺が、エクタ王子の魂だけを街に連れてきたんだ」
ミーファは物もいわず、ただ思いがけないセリスの言葉をどんどん目を大きくしながら聞いている。エクタもまた、思わぬ展開に黙り込んだ。
「もし、大人にエクタがこうしているのがばれたら、俺はエクタの魂を体からこのまま引き離して、精霊にしなければならねえ。そういう約束なんだ」
ごくり、とミーファの喉が鳴った。セリスはそこでふっと笑うと、ミーファの頭をごしごしと荒っぽく撫でた。
「だから、話さないでくれ。お前なら大丈夫なんだろ? そう思って話したんだぜ」
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