披露宴も終わり、リシアはハルマに付き添われて衣裳室へと赴き、窮屈なコルセットからやっと解放されていた。化粧も落とし、いつものリシアの姿に戻った後、ハルマはリシアを気遣ってすぐに、新居である館にリシアを送っていた。殆ど食事を取っていないリシアとルイシェの為に食事を手早くテーブルの上に載せると、ハルマは何故か慌てたように、「食器は明日、取りに伺います」と言い残し、部屋から出ていってしまった。新婚二人と一緒にいるのが、さぞ居心地悪かったのだろう。
 ハルマがいなくなれば、ルイシェとリシアはこの広い館に二人きりだ。自然、お互いを意識してしまう。何となく離れた位置に立って、お互い無口になっていた。
 しかしこれではいけない、と思ったリシアが、顔を真っ赤にしながらも、ようやく口火を切った。
「……ええと、結婚……したんだよね、私たち」
 ルイシェがぎこちなく応える。白い肌に、みるみる血が上っていく。
「あ、うん」
 リシアはすぐに、後悔した。そんなことを言ってしまった為に、余計に緊張してしまう。慌てて話題を変えた。
「あのっ……ごはん、食べない? 私、お腹空いちゃって……」
「そうだね、僕もお腹がペコペコだよ」
 お互いに意識をしながら、向かい合わせの席に着く。
 だが、それ程の量を口にしないうちに、二人はもうナイフとフォークを置いていた。
「何でだろ、お腹、もう一杯になっちゃった」
「本当だ。僕も朝から殆ど口にしていないのに」
 胸のドキドキが、二人を食べるどころではなくしていたのだ。
 何とか、ソファに並んで座ったものの、そわそわして視線も合わせられない。二人ともしばらく落ち着かなげにしていたが、今度はルイシェが思い切ったように話しかけた。
「それにしても、精霊達が祝福してくれた時には驚いたね。まさか、精霊達が結婚式に姿を現してくれるなんて」
 この話題は、比較的二人の間の静かな壁を崩すのに効果的だったようだ。リシア大きく頷いたのだ。
「ええ、私、自分に精霊が見えないのがとても残念だったから、今日、初めて見ることができて、それだけでも幸せだわ。精霊って、とっても綺麗だった。特に、あのディジニーという砂の精霊さん。精霊って、もっとお化けみたいに存在感のないものかと思っていたけれど、とても素敵だったわ」
「ああ、ディジニーはイェルト王家にとって特別な存在なんだよ。実は、前に砂漠に巡礼に行った時に、ディジニーに会ったことがあるんだ。後で書物で調べてみたら、かつて精霊と人間が親しく交流していた頃、イェルト王家と特に親しいつきあいがあったらしい。それが縁で、今でも王位継承権を得た人間が巡礼をした際には、姿を現すんだ」
 ルイシェの明かすイェルト王家の秘密に、リシアの蒼い瞳がどんどん驚きに大きくなった。
「でも、王家の結婚式に現れたなんて話は聞いたことがないよ。余程、僕達気に入られたんだね」
 ルイシェの優しい笑顔に、リシアもやっと微笑む。
 それまでのぎこちない雰囲気が、溶け出してきていた。
 やっと出たリシアの笑顔に勇気づけられて、ルイシェが小さなリシアの手に自分の手を重ねる。ピク、とリシアの手が微かに震え、今度はリシアの肌がすう、と赤くなった。
 上気したリシアの頬に、ルイシェが反対の手を当て、揶揄うようにくすりと笑う。
「……赤くなってる」
 リシアが、困ったような、少し拗ねたような顔で隣のルイシェの顔を見上げた。
「ルイシェだって、少し赤いわ」
「うん、そうだね」
 揶揄い返したつもりがあっさりと肯定され、リシアはますます赤くなった。
 ルイシェの、いつもは理知的な漆黒の瞳が、自分の目を情熱的にじっと見つめている。リシアは、もうそれ以上何も言えずにただ、呪縛にかけられたようにルイシェの目に吸い寄せられていた。
「やっと、君と好きなだけ一緒にいられるんだね」
 今まで我慢してきた言葉を、吐息と共にルイシェが囁く。頬に添えられた手が、顎へと回り、頭を軽く上向かせる。ルイシェの整った顔が近づいてきた。
「ルイシェって……ルイシェって、時々ずるい」
 甘い雰囲気に呑み込まれそうにになりながらも、リシアが小さな声で必死で抗議する。ルイシェは寄せかけた顔を少し離して、リシアのキラキラした青銀の髪を軽く引っ張る。
「何が?」
 駆け引きめいた言葉に、リシアはますます動揺する。
「何がって……。もう、とにかくずるいのっ。私ばっかり、こんなにドキドキしてるなんて」
 困って視線を逸らしながら口にした言葉は、却って逆効果だったようだった。
 急に抱き寄せられ、優しく唇を奪われる。
「んっ……」
 今までにない、長い長い口づけ。
 頭が、ぼうっとしてくる。体中の力が、吸い取られていくようで力が入らない。
 これ以上続けられたら、心臓が破裂する、と思った頃になって、ようやくルイシェが顔を離した。放心してルイシェを見つめているリシアの体を、そのままそっと抱き寄せる。
「ずるくなんかないよ。僕だって、戴冠式より結婚式より、今の方がドキドキしてる」
 リシアにも、それはすぐにわかった。ルイシェの体から、早い鼓動が強く伝わってくる。同じように、ルイシェが緊張していると知って、少し安心する。
 リシアは恐る恐る、ルイシェの広い背中に手を回した。鼓動が、より強く聞こえてきた気がした。

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