リシアが到着した、との報を受けて数時間。ルイシェは落ち着かない気持ちで部屋の中にいた。
 城の奥まった中庭に立つ、小さな、しかし小綺麗な館。今ルイシェがいる場所が、リシアとの新居になる。
 エルス国から運ばれてきた、リシアの嫁入り道具が美しく配置されている。華美すぎず落ち着きのある、居心地の良い空間。ここが居間だ。そして、二階には二人が共に眠る大きなベッドの置かれた、寝室がある。
 明日から、リシアがこの部屋に来て自分と一緒に生活するのかと思うと、ルイシェは緊張でじっとしていられなかった。バルファン教のムル・メーダと対決した時でさえ、こんなに緊張はしなかった。発作のように胸の高まりが押し寄せてきて、時々どうしてよいのか分からなくなる。
 ただ、そういう時に、明日同時に国王になることを考えると、理性がすうっと戻ってきて、将来への見通しが、否応なしに気持ちを冷ましてくれるのだった。
 リシアも王妃として嫁ぐことになって、さぞかし不安もあるだろうと思う。だが、それだけに自分がしっかりしなければならない、とも。リシアを守るのは、自分の役割だ。不安にさせては、決してならない。
 様々な想いがよぎる中、軽く扉を叩く音がして、母ライラが入ってきた。顔中に満面の笑みが漂っている。
「ルイシェ、今、早速リシアの花嫁姿を見てきましたよ。とても清楚で、美しくて……あなたには勿体ないかもしれないくらい。ふふ、本当に素敵でした」
 母の表情に、ルイシェはつい堅苦しいことを忘れ、婚約者の姿を想像してしまう。
「そんなに、美しかったですか?」
「ええ。明日の式で見とれすぎては駄目ですよ」
「母上っ!」
 まるで少女のようにはしゃぐ母を止めようとルイシェが声を上げると、ライラはくすりと笑った。
「冗談よ、ルイシェ。明日からはこうして無闇に部屋に来ることもよしましょう。けれど、何かあった時には、二人ともいつでも私のお部屋にいらっしゃい。待っていますから」 
 そして、息子の前に真っ直ぐに立って、いつの間にか男らしくなった顔を眩しげに見上げる。
「リシアに会ってから、あなたは何て大人になったんでしょうね。私が教えられなかったことを、リシアは幾つもあなたに教えてくれて。これからも、色々なことを教わるのでしょう。リシアを大事になさい、ルイシェ」
 昔、リシアに会った頃に、乳兄弟であるセルクにも同じようなことを言われたことを、ルイシェはふうっと思い出した。
 母の想いが籠もったライラの声に、ルイシェは素直に頷いた。
「さあ、あなたもそろそろ明日の準備に怠りがないか、もう一度調べておきなさいな。リシアに恥をかかせてはなりませんから。私はお父様のところに戻ります。お父様もああ見えて、多少は緊張しているようですから」
 ライラはそう言って、ルイシェの部屋からいそいそと出ていった。母が椅子にも座らなかったことに今頃になってルイシェは気づき、微笑んだ。

 シェリーはルイシェの母方の祖父トワロアと共に、リーザも泊まっている客用の館に到着していた。
 早速シェリーが、アリアーナ大陸でも数少ない友人の一人であるリーザに会いに行くと、彼女はテイルの前で、椅子に腰掛け俯いていた。
 二人の親密な様子を冷やかそうとしてからよく見て、余りのリーザの有様にシェリーは思わず笑うのも忘れて呆然とした。
 いつもきちんとしていて笑顔で、てきぱきしている有能な美女が、目を真っ赤に泣き腫らしていたからだ。目は一重になり、化粧はすっかり剥げて涙の線が頬に幾つもできていて、髪も振り乱している。
「何? 家族でも死んだの?」
 開口一発、挨拶も忘れてそう尋ねたシェリーに、テイルが首を横に振る。
「いいや。馬車の中でリシアと別れる淋しさに泣き続けただけ」
 その言葉にまた悲しげに肩を震わせるリーザに、シェリーは呆れてその顔を覗き込んだ。
「うわー、年取ると涙もろくなって、やだねえ。あたしもこうなっちゃうのかな」
 これは、リーザの涙を止まらせるのに何よりも効果的だったようだ。泣くのも忘れて、リーザがキッとシェリーを睨み付ける。
「失礼ね゛っ、私はか●゛じゅせいが豊かな゛だけよっ」
 しかし、その反撃にシェリーが堪えきれずに爆笑する。
「あははははは。すっごい声。リーザさん、『ん』が言えてないよ」
 他の誰もが突っ込みたくても突っ込めなかったことを、シェリーがズバリと言いきったことで、テイルはつられて笑いそうになった。が、必死で堪える。
「姫様と私は五年も゛一緒に暮らしてきた●゛です。悲しくって、当たりま゛えなんですから」
「そりゃそうかもしれないけど。リシア、明日その姿見たらまず笑うと思うよ。明日までに、顔の腫れが引くといいけどねえ」
「余計なお世話ですっ」
 そうは言ったものの、リーザは流石に気になったらしい。鼻を思い切りかんでから、硝子に映った自分を見て、ほつれた髪を直したりしている。
 そっと、テイルがシェリーの耳元で囁いた。
「すまないね。お陰で助かったよ。実はどうしていいものか参っててね」
「テイルさんも案外頼りないよね」
 呆れたようにシェリーにすっぱり切られ、テイルが何とも言い難い表情になる。この歯に衣着せぬ少女には、それこそリシアやエクタ、ルイシェのような、普通の人間を超越している人格の保持者でないと、尊敬することができないらしい。
 テイルの内心を知ってか知らずか、シェリーが屈託のない笑顔を見せる。
「リーザさん、元気そうだから、あたしも部屋に戻るよ。明日の結婚式でまた会おうね」
 テイルが右手を挙げて返事をする中、挨拶もそこそこにリーザは鏡に向かって、顔の本格復旧に向かいつつあった。

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