通された部屋で、金髪の青年は父と向かい合っていた。
「父上。いよいよですね」
父の穏やかな目が、ゆっくりと瞬く。
「そうだな。望んで、望まれた結婚。親としては言うことがない。ただ、早すぎないかだけが心配だが……しかも王妃とは」
自分が晩婚だった故、娘の結婚が特別早く感じられるのかもしれない。青銀色の撫でつけられた自分の髪には、もう白髪が混じっているというのに。
「リシア達なら、大丈夫ですよ。二人とも、必要なものは十二分に得ている。それに、絆の強さは隣にいて、嫌という程見せつけられています」
いつの間にか、大人の風貌を漂わせるようになった息子が、声を立てて笑う。
しかし、彼の心の中もまた複雑なのだろう、と父は思う。たった二人の兄妹だ。しかも、他に類を見ない程の仲の良い。リシアを他国に嫁に出すことは、彼にとっては身を裂かれるような想いもあるに違いないのだ。
「お前も、そろそろ相手を見つけねばならぬ時期かな」
呟くと、息子がまた笑う。
「ご心配には及びませんよ。私は、相手は自分で見つけます。不甲斐ないもので、父上にはやきもきさせてしまうかもしれませんが」
そうではない、と否定しようとしたが、それもまた無粋なようで父は黙る。
その隣で、息子……花嫁の兄は心の中で、考えていた。父の発言に対してではない。
明日、嫁ぐ妹のことを考えていたのだ。
いつの間にか、自分が守る存在ではなくなっていたリシア。ルイシェが彼女を守る姿を見て、虚脱に近い思いを抱かずには、今でもいられない。
が、それでいいのだ、と心の中で虚勢を張る。
いずれ、別々の道を歩むのが分かっていた。それが思ったよりも早かっただけだ。自分より早く、羽ばたこうとしている妹を、送るのが自分の役目だ。
……父子の間には、しばらく沈黙が流れていた。それぞれの思いが、その中に詰まっている。
夜の闇が押し迫る頃、父がようやく言った。
「マリサは喜んでいるかな」
息子は微笑み、確信を込めて頷いた。
「明日は……出席するの?」
母が息子に、慣れないらしい柔らかい口調で尋ねる。表情にもぎこちなさがあったが、それは無理矢理笑顔を作り出そうとしたからではなく、反対に今まで素直に出すことのできなかった表情を、しばらくぶりに心から出そうとしているような、そんな笑顔だった。
「……」
息子は、黙したまま無表情に窓の外を見上げている。
外に広がるのは、夕暮れの迫った蒼い、蒼い空。
空も、美しいと思うようになっていた。彼女と出会ってから。
初めて会った時に、頭の中の霧が晴れたように感じた。その日から、ずっと、ずっと霧は晴れたままだ。不確定な要素を含みながらも、連続性を保っている自分という存在。かつての自分を認識しつつ、その後の自分もまた同一であるという自己同一性。気づいた以上、どんなに否定したい気持ちになったとしても、それを受け入れざるを得ない。
蒼は、好きな色だ。同時に嫌いな色でもある。ただ、目だけは蒼い空から離れようとしない。
物事というのは、そういうものなのかもしれない。感情など、ゆらゆらとした幻に過ぎず、好きと嫌いはいつもぎりぎりの瀬戸際に存在する。
隣に母が来て、一緒に空を見上げる。
そんな母を、好きなのかもしれない、と認識するようになった。驚くべき事だ。好きも嫌いもなかった頃から比べれば。
この世の中は、やはり本当などではない、とライクは改めて思う。現実だと思ったあの高揚感は、ただの一過性のものに過ぎず。或いは、現実はあるのかもしれない。が、真実はやはり無いと思う。
だから。
現実だけ確認する為に。
「行く時間を遅らせよう」
一言だけ呟くと、すぐに意を察した母が、自分の顔を見て、微笑んだ。
夜が、しんしんとした静けさを運んできていた。
白い、白い花嫁衣装。余りの白さに、影の部分は青みがかってさえ見える。
最後の試着と準備を終え、明日に備えて後は眠るだけ。
女の子にとって、一番の憧れである結婚式。そして、相手は一番好きな人で、王子で、明日王になるルイシェ。多分、自分は世界で一番の幸せ者だろうと思う。
そして同時に、明日から、自分は王妃となる。その重圧を考えると、浮かれてはいられないと思う。王妃、というのはそれだけの責任がある名前だ。
しかし、重圧に潰されてはならないと、リシアはしっかりとした心構えで思った。
ルイシェの母であるライラ王妃が、レイナ王妃不在の今、立派に王妃の役割を果たしているように。
かつて、自分の母マリサが、その役割を十二分に果たしたように。
自分も、明日からは王妃になるよう、努力をしなければならない。王妃とは自動的になるものではなく、自分からもなるようにしなければ、本物にはなれないような気が、リシアにはしていた。
それは、大変なことであろうと思う。しかし自分は一人で王妃になるのではない。隣には、いつもルイシェがいてくれる。何と幸せなことなのだろう。
自分だけではなく、国民一人一人が全て幸せになれますようにと。
リシアは手を組んで、神に祈った。
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