厳粛な雰囲気が、場を支配していた。
 儀式場は外にあり、大理石でできた高い壇が設えられている。ゆるやかな風が人々の髪を揺らしていた。
 イェルト国の貴族をはじめ、招待された一般国民、各国の王や王妃、王子が、それぞれの国の正装を纏い、軒並み顔を揃えている。無論、エルス国王イークとエクタ王子の姿もある。
 ルイシェは、新たなるイェルト国の象徴でもある。戦争の印象が付きまとうイェルトの暗い影を払拭する可能性の高さに、各国の期待も大きかった。
 ザ、と音を立てて、儀式用の槍を持った衛兵達が、一糸乱れぬ歩調で儀式場の端から壇の周りへと移動する。その中、重々しく、現国王であるクリウが壇上へ歩を進めた。
 クリウは壇の一番高い場所に、胸をしっかりと張って立った。そして儀式場の端から端へと、その冷徹なまでに威厳のある視線を移す。
 シィン、と儀式場が静まり返った。
 それを見計らい、クリウがゆっくりと、口を開く。
「神々よ。精霊達よ。祖先よ。国民よ。我が国を見守る他国の民よ。我、クリウ・レーヴイナス・イェルトは、息子であるルイシェ・レーヴイナス・イェルトが我よりも国王たる資格があると認めるに至った」
 ざわり、と空気が音もなく蠢いた。型破りな切り出しであった。それまで、国王の引退の理由は、イェルトでは語られることなどなかったのだ。まして、自分より息子が優れているとも取れる発言は、それまでのイェルト人の気質からすれば、考えも及ばないことである。
「我はここに冠を脱ぎ、国王の座を退こう。全ての精霊、全ての人が新たなる王に祝福を与えられんことを願う」
 クリウの頭から、本人の手に依って王冠が外される。両手でそれを掲げたまま、クリウは段へと上がる階段下に待機していたルイシェに視線を向けた。
 ルイシェは、父の顔を真っ直ぐに見ながら、一歩一歩階段を踏みしめて昇る。
 思わぬ父の宣言が、ルイシェの頬に緊張の色を浮かばせていた。
 ただ、戴冠をすればいいのだと思っていたのだが、父はそうは思わなかったのだ。そして、愛情に溢れた、しかし厳しい言葉を贈られた。父に認められるということは、父以上の男たらねばならないということ。息子にとっては、それは不可能と思えるものだ。
 ルイシェは、父を尊敬していた。考えが必ずしも一致するとは限らない。が、その奥底に流れる感情と、理論はいつでも理解ができた。その上で、真っ直ぐに筋を通してきた父を、尊敬していた。
 その父が、今、目の前で冠を掲げている。ルイシェはその前に跪いた。
 頭の上に、クリウの手で王冠がゆっくりと載せられる。
 人々は固唾を呑んでその光景を見守っていた。ただ、冠が父から子へ移っただけ。だが、その深い意味は、誰の胸にも様々な感慨を起こさずにはいられなかった。
 時代が、変わるのだ。
 まだ二十一歳という若き新王ルイシェが、誕生したのだ。
 王ルイシェは、静かに立ち上がる。その側でクリウ先王は悠然と後ろを向き、壇上から立ち去った。新たなる王に、そして先王クリウの潔い引き際に、参列者は一斉に頭を垂れた。
 その視線が戻った頃、ルイシェが先程父がしたように、儀式場の端から端へと目を移した。王にしては端麗に過ぎるかもしれないその姿に、そのような場合でもないのに、誰もが見惚れる。
 かつて憂うような雰囲気を持っていた目は、いつの間にか深い叡慮を湛え、人々を見つめていた。
「神々よ。精霊達よ。祖先よ。国民よ。我が国を見守る他国の民よ。我、ルイシェ・レーヴイナス・イェルトは今この時より、イェルト国王を受け継いだ。我が願うは、国民の安寧と発展。ゆくゆくは世界の安寧と発展。我はその実現に尽力することを誓おう」
 声は、清々と人々の耳に届いた。情熱と希望に満ちた宣言。何処ともなく、拍手と歓声が湧き起こる。これまでにない、熱烈な歓迎をもってルイシェの即位は迎えられたのだ。
 壇下に降りたクリウは、誰にも見られぬように、軽く笑った。
「この期待に応えるのも、また難しかろうが……」
 鳴り止まぬ拍手と歓声に背を向ける。側に、いつの間にかひっそりとライラが佇んでいた。
「ご立派でしたわ。長年の王のお務め、本当にお疲れさまでした」
 王は自分の全てを知っている、美しい妻の顔を見つめる。
「ようやく退位できた。お前にも苦労を……」
 慣れぬ労りの言葉を、ライラにかけようとする。だが、唇の前に現れたその繊細な指に、言葉は止められた。きらきらと、妻の黒い瞳が輝いている。
「苦労などありませんでした。一緒にいることを選んだのは、貴方だけではないのです」
 クリウは強い妻の言葉に頷いた後、ただ一つ悔いの残ることを口にする。
「……レイナにも辛い思いをさせたが」
 ライラの目が、潤んだ。
「ええ。あの方の苦しみは、ずっとずっと深い。あの方に償えないことだけが、私の苦しみかもしれません。これからの生は、あの方の心が安らぐよう、祈り続けます」
「共に苦しむのも二人なら耐えられる、と思うのは、これもレイナに対する裏切りなのか」
 それ以上、二人の言葉は無かった。ただ、その手がしっかりと繋がれる。
 そして二人は、壇上に立つ息子を見上げた。

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