戴冠式の人々の歓声は、城中で支度をしていたリシアの耳にも届いていた。ただ、そのことに感動をする暇もない程の忙しさに、既にリシアは巻き込まれていた。
 白いドレスを身に纏った後が、また大変だ。念入りな化粧は二時間にも及び、髪に至っては現在に至るまで三時間、いじられ続けている。
 それでも、戴冠式が終わり、昼を告げる鐘が鳴る頃にはリシアも見知らぬ侍女や職人達に囲まれることから解放されていた。
 ハルマが申し訳なさそうに、水だけを盆に乗せてやってくる。
「リシア様。本当はお昼を召し上がって頂きたいのですけれど、服を汚してしまうと、また大騒動になりますので……」
 リシアはくすりと笑ってハルマの盆からグラスを取った。
「大丈夫よ。コルセットがきつくて、とてもお腹に入りそうにないし。式が終わって、この服から解放されたら食べることにするわ」
 水滴をこぼさぬよう細心の注意を払いながら喉を軽く潤しただけで、リシアはグラスを置く。
 その時、扉を叩き、廊下から来訪者を告げる声が聞こえた。
「エルス国王イーク様、エクタ王子様、他リシア姫のお身内の方が数名、いらしておりますが、如何いたしましょう」
 リシアの目が輝いた。ハルマの表情を見て、通しても構わないことが分かると、リシアは弾んだ声を上げた。
「ええ、通して頂戴」
 扉が開かれ、入って来た人々を見て、リシアは立ち上がって顔を綻ばせた。父、兄、テイル、セリス、それにシエラだ。
 イークは、王らしいマントを身に纏い、立派に見えたし、儀式参列用の服を身に纏ったエクタはいつもよりも更に凛々しく見えた。髪がようやく伸び始めたテイルは、まとめた髪に美しい銀環をはめ、無造作に銀髪を靡かせたセリスと揃いの騎士姿である。シエラは気品のある、緑色のドレスを身に纏っていた。
 五人は、リシアの花嫁姿に、雷で打たれたように入り口で立ち尽くしてしまっていたが、すぐにシエラがリシアの側まで駆け寄った。その顔には、純粋な賞賛が浮かんでいる。
「リシア、何て綺麗なの? とても素敵」
「本当?」
 少し不安げに問いかけるリシアに、シエラが満面の笑みを浮かべた。
「ええ、今のあなたは世界一美しいわ。ほら、エクタやテイル、セリスの顔を見て。信じられないって顔してる」
 リシアは、シエラの指さす方を見て、吹き出すのを堪えた。今まで、彼らを驚かせたりしたことは何度もあったかもしれないが、今回が一番衝撃が強いであろうことは、その表情からも明らかだったからだ。皆、何とも言えない顔をしている。
 男性陣が近寄れないでいる間、シエラが、しっとりとした調子で、リシアの花嫁姿を改めてしげしげと見つめた。そして、そっと耳打ちする。
「リシア……私、自分の予言が当たりすぎて、予言者になろうかと思ったくらいよ。覚えてる? 私、去年あなたに言ったわよね。私なんかよりずっと強く、素敵な女性になるって。実際あなた、一ヶ月で私を置いていってしまったのね。たった半年で、こんなに強くて素敵な女性になってしまったわ」
 シエラの言葉に、咄嗟にリシアは首を横に振った。他の者に聞こえないよう、手を翳してシエラに囁く。
「そんなことないわ。私の方が短い間に色々な出来事が起こっただけ。シエラは、長い時間をずっと耐えているのだもの、その強さも素敵だと思う」
 シエラが、少しだけ複雑な笑みを浮かべた。
「リシア。私、あなたを見ていて、自分も勇気を持たなければならないってわかったの。報われぬ恋いよりも、自分が幸せになれるようにって、考えを変える勇気を……。ねえ、リシア。この半年の間に、私を好きだと言ってくれている人ができたと言ったら、驚く? 私がその人に惹かれ始めていると言ったら、軽蔑する?」
 リシアは突然の告白に、驚いてシエラを凝視した。しかし、シエラの顔は至って真剣である。
 義理の姉になるに違いない、と小さいころから思っていたシエラ。しかし、きっと待つ時間は長すぎたのだ。彼女は潔く、自分の新しい道を選び取ろうとしている。兄の顔をちらりと見てから、リシアは溜息をつき、首を横に振った。
「いいえ、シエラ。あなた、きっと死ぬほど悩んだ筈だもの。誰もあなたを責めたりできない。それよりも、幸せになって。そして、今度、その人を是非紹介してね」
 リシアの言葉に、シエラの目が潤んだ。今までどんなに、一人でシエラが悩んできたのかわかったような気がして、リシアは胸が痛くなった。そして、シエラの幸せを祈らずにはいられなかった。
「ひそひそ話は終わったかい?」
 二人の会話の終わったところに、いつもの調子に戻ったテイルが声をかけてくる。
 今の話が頭に残ってはいたが、リシアが急いで笑みを浮かべると、テイルは驚いたように、今更ながら両手を大袈裟に広げてみせた。
「驚いたな。こんな美人だって分かってたら、俺もリシアに結婚を申し込んでおくんだった。おめでとう、とても綺麗だよ」
 リシアの頬に、本当の兄のように、そっと口づけをする。

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