〜萌芽〜

 イェルト国王クリウが、第一王妃レイナと結婚して数年。国王家ではある騒動が起きていた。
 クリウが、強引に第二王妃を娶ったのである。一夫多妻の制度ゆえ、王が何人妻を娶ろうと構わない。問題になったのは、第二王妃の身分であった。第二王妃ライラは、学者の出身だったのである。
 身分の序列が厳しいイェルトでは、騒動になるには充分な根拠だった。この国では、学者は身分的には平民よりも少し上といったところである。貴族から見れば、平民と同じにしか見えない。そのような者が妾でなく、第二王妃につくというのは、今までに通例のないことだった。
「儂は、王だ。したいようにする。ライラの美しさは、それだけで国の宝だ」
 慌てふためき忠言をする臣下達を、クリウはそう撥ねつけた。
 実際、ライラは文句のつけようのない程美しかった。流れるように艶やかな、漆黒の髪。幻想的な程澄んだ、理知的な黒曜石の如き瞳。抜けるように白い肌。濡れたような薄紅色の唇。たおやかな姿態。目の当たりにした者全てが息を呑む、そんな美しさであった。
 クリウの発言に人々は意見を呑み込んだ。しかし、内心で納得する者は殆どおらず、使用人でさえもが、クリウの見ていないところで、ライラに対し冷たく当たった。
 そんな中、ライラは身ごもり、男の子を産んだ。ライラに良く似た、美しい子供である。それが、ルイシェだった。

 ルイシェは、物心がついた頃から、母と、母と幼い頃から付き合いのある乳母家族以外の人の笑顔を殆ど見たことがなかった。父でさえも、いつも厳格な顔をして、ルイシェを前にすると、「剣の腕は上がったか」と聞くのが常であった。
 使用人達は一言も口をきかず、仏頂面で荒っぽく掃除をするものだと思っていたし、兄のロージョと弟ライクは、ルイシェを見るとあからさまに避けて通っていたが、そんなものなのだろうと思っていた。
ただ、第一王妃のレイナが、「お前など産まれなければ良かった」と横を通る度に扇の影で囁くのだけは嫌だった。
母は、それを目の当たりにすると、とても悲しそうな顔をして、ルイシェに謝った。
「ルイシェ、ごめんなさい。あの方は、私がお好きではないのです。子供のお前には何も罪はありません。私の為にあなたを傷つけてごめんなさい」
 母のその表情を見ると、ルイシェは矢も楯もたまらなくなり、精一杯の笑顔でいつも母を慰めた。母はその度に、ルイシェをぎゅっと抱き締め、何も言わなくなった。そして、苦しがるルイシェを解放した後は、ルイシェが一番綺麗だと思う笑顔で、優しく頬にキスをしてくれるのだった。
 そんなルイシェも、成長するに従って表情に陰が表れはじめた。陰湿で冷たい攻撃の矛先が、子供から大人へと成長し始めたルイシェにも及び始めたからである。ルイシェの見せる様々な才覚は、第一王子ロージョを脅かすものとして、レイナ王妃の眉間の縦皺を更に深くした。レイナに与する人々は、ルイシェに対しそれまで以上に辛く当たった。
 誰にも決して言わなかったが、ルイシェは、自分は生まれてくるべきでなかったかもしれない、と時々思うようになった。望まれて生まれた子供ではないのかもしれない、と。ただ、その言葉を放てば傷つく人がいることを知っていたから、ルイシェは段々無口になった。
 ある日、事件が起きた。ルイシェの愛馬が突然暴れ出したのだ。その原因を聞いて、ルイシェは暗澹たる気持ちになった。
誰かが馬の耳にこっそりと砂利を入れたことが原因だったのだ。ルイシェには大事がなかったものの、ルイシェの衝撃は大きかった。
沈鬱な表情をして母の部屋に入ったルイシェは、一つずっと疑問に思っていたことを、母に思い切って尋ねてみた。
「母上、母上は何故……父上と結婚したのですか?」
 ライラは、何があったかは聞かなかったが、すぐに何かがあったことを察知した。ルイシェを引き寄せ、隣に座らせる。
「お父様と結婚した理由は、私がお父様を好きだからです」
 ルイシェが、少し訝しげな表情を浮かべる。母が父を好きだとこのように言うのは、初めて聞いた。美しさだけを求められて、半分強制的に妻にされたのだとばかり思っていた。少なくとも、父の母に対する態度はそうではないか、と思う。
「父上のどこがお好きなのですか?」
 素朴なルイシェの問いに、ライラは丁寧に答えた。
「お父様は、あの通り少し強引ですが、嘘はつきません。好きな人は好き、嫌いな人は嫌いと言う人です。そのお父様が、私を好きとおっしゃるの。誰かに好きと言ってもらえるのは、とても嬉しいことですよ」
「それだけ……ですか?」
 ルイシェは理解ができず、更に困惑の表情を浮かべる。
「あとは、お父様が私にないものを持っていらっしゃるから。自分で間違っていないと思うことは、絶対に貫き通す強さ。例え間違っても、そのことを後悔せず、すぐに正す強さ。いつも前を見て歩いていらっしゃるから、お父様が好きです。ルイシェにも、その強さは受け継いで欲しいと思っていますよ。ルイシェは、お父様は嫌い?」
 ライラに笑顔で問いかけられ、ルイシェは少し考え込んだ。そして、その後こう答えた。
「僕は……父上が嫌いではありません。父上が、何を考えているのか分からないけれど、多分、好きです」
 ライラは、頷いた。正直な答えだと、すぐに分かったからだ。
「そうね。お父様の考えは、あなたに全て読むことはまだ無理だと思いますよ。そして、あなたが成長して、お父様の考えがわかっても、相容れない部分もある筈。私もそう。でも、人間は相手と全く同じ意見にはならないものです」

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