〜選ばれし侍女〜

 マリサ王妃が亡くなった日のことを、リーザはよく覚えている。雪のちらつく、冬の寒い日だった。リーザはその頃十六歳で、弟妹達と城下町で父の経営する宿屋の手伝いをしていた。ネ・エルス市内にあるその宿屋は、明るい接待で評判の良い店であった。
「おうい、とうとうマリサ王妃がお隠れになったぞ!」
 雪の結晶を身体に纏って、馴染みの客が飛び込んでくる。皿洗いをしていたリーザの母は、驚いて手を拭き拭き厨房から出てきた。
「あれ、まあ。残念だねえ。マリサ様、そんなお年じゃなかったのに……残されたエクタ様とリシア様、お可哀想に」
「本当だよ。やっぱりあれかねえ、子供がなかなかできなくて、年が行ってから二人の子供を産んだだろ? 身体が持たなかったんだよ」
「いいお方だったんだがなあ……俺あ好きだったな、あの方」
「嫌いな方なんていないさ。貴族だったのにつんけんしたところが無い方だったよ」
 宿屋の食事で遅い昼食を取っていた男達が、次々に机の周りに集まりはじめる。リーザは飛び込んできた男に暖かい飲み物を出した。そのまま、輪の中に加わる。
「ねえ、おじさん、マリサ様って肺の病だったんでしょ?」
「そうそう。一ヶ月以上頑張ったけれど、この寒さじゃねえ。身体が持たなかったんだよ……」
 その日は一日中マリサの話題で持ちきりだった。リーザも、新年の挨拶や、お祭りの時にマリサを見かけたことくらいはあったから、少し切ない気持ちになった。妹や弟達と同じ年頃の子供が残されたことも気になった。
 マリサ王妃はリーザの母より少し年上と聞いたが、とてもそうは見えない、金色の髪が美しい、品のある穏やかな笑顔が印象的な女性だった。
「あんた達は父さんも母さんも丈夫で幸せなことなんだからね。しっかり働きなよ」
 小太りで働き者のリーザの母が、長子であるリーザの背中をぼん、と叩く。
「わかってるわよう。何でそこから働くことになるの?」
 ぶつぶつ言いながら、リーザは客の食べ終えた皿を厨房に持っていった。
 その頃は、リーザもまだどこにでもいる、普通の街娘であった。

 それから一年後。城門の前に、人材募集の御触書が出た。
――リシア様付きの侍女を募集する。身分、年齢は問わない。女性に限る。多少の教養と一通りの家事を必要とする――
 城下はあっという間にその話題で持ちきりになった。リーザの宿でも、その話は毎夜酒場を賑わせた。リーザも、その話を聞いて胸をときめかせていた。年頃の女の子にとって、王宮勤めは憧れの職業だったのである。しかし、ここ数年は侍女の募集もなされておらず、リーザの年頃の女の子にとっては初めてのチャンスだった。
「侍女を募集することはたまにあるけれど、リシア様付きとなると話は別だねえ。余程しっかりしたところの娘さんでないと勤まらないよ」
「下級貴族の娘さんとかが行くんじゃないか? やっぱり、礼儀とか、あるだろうしなあ」
「いや、でも貴族の娘さんは家事なんかしないよ」
「リーザちゃんなんか打ってつけじゃないか、ここで外国の人とも結構話すし、家事は毎日こなしてるし、それに美人だしなあ」
 一人の常連客が言うと、周囲はそうだそうだ、とはやし立てた。リーザは「あたしなんかダメよう」と一応否定してみたが、内心嬉しくて仕方がなかた。
それを聞いていたリーザの父は、片眉を上げて口を尖らせた。
「リーザがその気になると困るよ。普通の家の娘が王宮に上がれる訳はないんだ。住む世界が違うよ」
 リーザの母も、腰に手を当てて加勢する。
「そうそう。何をやらせても半人前以下なんだから、面接で恥をかくのが落ちだよ。もっといい所のお嬢さんでないと」
 遠慮のない父母の意見に、リーザは少ししょげたが、しかしその夜、仕事が終わった後で、思い切って父母に切り出してみた。口は悪いが、気のいいのが父母の取り柄である。
「ねえ、父さん、母さん。面接、受けるだけ受けちゃダメかなあ」
「まさか、お城の侍女の話か?」
 リーザの父は驚いて目をまん丸にした。
「うん、そう。通るとは思わないんだけれど、面接ってお城で行われるんでしょ? お城の中、一回でいいから見てみたいんだ。それに、靴屋のミッティーも肉屋のレジーも面接行くんだって。あたしも行きたいよ、ねえ」
 余りにも単純な理由に、両親は吹き出した。リーザがひどく真面目な顔をしているから真剣に聞こうと思ったのだが、それが馬鹿馬鹿しくなったのだ。
「あははは。リーザらしいねえ。まあ、面接を受けるのもいい社会勉強になるかね、ねえ父さん。あたしだって若い頃、同じ理由で侍女面接に行ったことがあるよ。落ちたけど」
「まあ、そうだなあ。俺も同じ理由で衛兵の面接に行ったなあ。落ちたけど」
 顔を見合わせ、三人は爆笑した。いつもとことん明るいリーザの一家である。
「あはははは、似たもの夫婦に似たもの親子だねえ」
 お腹がよじれる程笑った後、肩で息をしながら、父がリーザの背中をばんと叩いた。
「行ってこい、リーザ。面接の経験も、何かの役には立つだろう」
 リーザは笑いすぎによる涙を拭いながら、「はーい」と元気良く返事をした。

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