〜die Ahnung〜

 エルス国の中にあるユーシス・エルス公爵家。繊細な雰囲気の漂う城のその庭園で、銀色の髪がふわりと風に舞った。
 風に舞った、と見えたその髪は、すぐに強い力で伸ばされた。ピーン、と何もない空間から一筋の銀色の髪を誰かが引っ張っているように見える。
「何だよ。悪戯すんなって言ったろ」
 中性的な美青年が、木で設えられた品の良い長椅子に腰掛けながら、面倒臭そうに言い、頭を振った。
 その神秘的な美しい容貌に見惚れていた者は、必ず彼の形の良い口から漏れる、乱暴な言葉に戸惑いを覚えるだろう。しかし、その内容が必ずしも猥雑ではないということに気が付けば、それもまた魅力に変化する。
 セリスは更に虫を追い払うような仕種をすると、立ち上がった。
「一体今日は何なんだよ。うるせーぞ、お前ら」
 一見突き放したように聞こえる言葉を放ちつつ、その実、セリスは何かを聞いていた。その、猫の目のような翠色の瞳が上目遣いに空中を眺める。
「……大気がおかしい、だと? 何か起こるのかよ?」
 空中には、何も浮かんでいない。が、セリスは一点に視線を当て、対話をしている。
「何だ、原因はわからねーのか。まあ、忠告ありがとうよ。何が起こるのかはっきりしたら教えてくれ」
 会話の相手はやっとセリスの答えに満足したらしい。
 セリスは空を見上げた。溜息を一つ吐く。
「また厄介ごとかよ。あんまり面倒なのは御免だぜ……」
 空は何の異常も感じさせぬほど飽くまでも青く、透明に澄み切っていた。

 銀の髪に翠の瞳を併せ持つ者、というのは、ユーシス家では特別な意味を持つ。王家に近しいこの家の家系には、しかし他の家にはない不思議な力をその血に宿していた。
 精霊使いの血である。
 因子的に持つその力が発現するのは、銀の髪に翠の瞳を持つ者に限られていた。血が薄まった現在、その色を併せ持ってさえ精霊と対話するのが精一杯であると言われる中、セリスは百数十年ぶりとも言われる久々の強力な精霊使いとしてこの世に生を受けた。
 精霊使い以外の人間に姿を見せることは殆どない為、精霊の存在すら危ぶまれている時代である。精霊使いであることは一部の人間を除いて隠され、セリスは表向き、普通の公爵家の人間として育った。
 数年前、両親の楽隠居により公爵に任命されたセリスは、それ以来影で精霊と共にエルス国の政治を支えてきた。
 精霊はその噂好きの性格を上手く使えば、他国では決してお目にかかれぬ程優秀な諜報部員となってくれる。争いの種になりそうな情報をいち早く察知し、早期解決に動いていることが、エルス国の長い平和を保っているともいえた。
 だが、去年は忙しかった。エルス国王家を巻き込んでのイェルト国の一件があったからだ。セリスは裏でひたすら精霊を使いまくり、情報を集め、先手を打つべく努力した。全てが終わった時には、数日間起きあがるのも面倒なくらい疲れ切っていた。
 それ以来、平和な日々が続いていたのだ。
 最近、精霊達が良く騒ぐようになっていた。違和感があるというのである。今日は特にひどかった。
 しかし、その原因はよく分からないのだそうだ。
 悪いことなのか良いことなのかもわからないと精霊達は言う。だから、セリスは気にしないでいた。そう、夢を見るまでは。

 夢を見た。
 見たこともない、金色の肌をした三人の乙女。揃って漆黒の髪と、濃い茶色の瞳をしている。服は見たこともない生地で作られていて、色鮮やかである。
 変な装飾品がたくさんある、異国であることだけは間違いのない室内で、彼女達は仲良く動く窓……いや、絵だろうか?……を見ながらお喋りをしていた。
 ……たったそれだけの夢。

 起きあがってから、セリスはしばらくぼうっとしていた。他の夢と違って、妙に鮮やかで細部まで思い出せる夢だったのだ。
(……俺も大分想像力が豊かだな)
 心の中で呟きながら、三人の乙女の顔を思い出す。それぞれに美しい娘だった。一人は切れ長の目をした、大人びたクールな雰囲気の娘。一人は夢を見るような目をした、穏やかそうで優しそうな娘。一人はくりっとした目の、利口そうな、表情豊かな娘。
(それにしても、何で俺がこんな夢見たんだ? まさか、好みの女を並べて……んなわけねーな、全然好みじゃねーのもいたし)
 しかし、セリスは少しだけ思い返す。
(でも、あいつだけはちょっと可愛かったかな……?)

 次の夜。
 再び、彼女達の夢を見た。今度は、何故かエルス国の服を着ている。三人の隣にはテイルの姿があった。場所も見覚えのあるレイオス城内である。
 三人の娘とテイルは、廊下をゆっくりと歩きながら何か楽しげに会話をしていた。
 ……今度も、それだけの夢。

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