〜白の塔にて〜

 エルス国の風景は、とても美しい。世界に住む誰もが憧れるような、お伽の国の世界のように。
 そしてこの日、穏やかに晴れた午後の昼下がりに、中でも殊に美しい風景を描き出している王城の「白の塔」の窓から、美しい女性が見ることができた。
 ルイシェの母、ライラである。四十は越えている筈なのだが、かつてイェルトのイーク王が国の宝とまで褒め称えたその美貌は、年齢を重ねても衰えるどころか益々冴え渡るようですらある。憂いを帯びた、黒曜石の如き瞳は、まっすぐに窓の外……イェルトの方角を見つめていた。
 陰謀が渦巻くイェルトに、夫を残してきたことが気がかりでならなかった。自分がここに来たことは、間違いではないと思う。が、感情はやはり遙か遠く、イェルトへと戻っていってしまうのである。
 その時、部屋の扉がノックされた。
「はい、どうぞ」
「お邪魔します」
 自分の侍女か、エルス国王家の侍女かと、ゆっくりと扉を見たその瞳が、大きくなる。
 事もあろうに、エルス国の王女、リシアが一人で危なっかしい手つきでお茶を運んできていたのだ。ライラは慌ててリシアの許に走り寄り、銀色の盆の上から落ちかけていた陶磁のカップを持ち上げた。
「ご、ごめんなさい、上手く運べると思ったのですけれど」
 何とかテーブルの上に盆を置きながら、リシアは申し訳なさそうに謝り、大切そうに持ってきたお茶を、慎重にライラの救い出したカップに注いだ。豊かで優しい林檎のお茶の香りが辺りに広がる。ライラの好きな香りだ。
「まあ、ありがとう。いい香りだこと」
 誉めると、リシアははにかみながら微笑んだ。
「ライラ様に、是非飲んで頂きたくて。あの、ルイシェからライラ様が林檎の香りがお好きだと、聞いたものですから」
 今まで日が浅いこともあり、ライラはリシアと話す機会が余りなかった。一度ゆっくり話したいと思っていたところへの彼女の訪問は、とても嬉しいものだった。椅子を勧め、自分も腰を下ろしながら、大分緊張しているらしいリシアへ微笑みかける。
「ルイシェと仲良くして下さっているそうですね。あの子は友達が余りいないので、母として安心しておりますの。ありがとう、リシア様」
 リシアの頬が一気に紅潮する。
「リシア様だなんて……リシアとお呼び下さい。わ、私こそ、ルイシェには、いつも助けられてばかりなんです。私の方が、お礼を言わなくちゃいけません」
 余りのリシアの緊張ぶりに、ライラはついくすくすと笑い出してしまった。
「ごめんなさいね。でも、そんなに緊張なさらなくても大丈夫ですよ、リシア……仰る通り、こう呼ばせて頂きますわね」
「は、はい」
 リシアは緊張をほぐそうとしているのか、二、三度大きく深呼吸をした。その様子を可愛らしいと思いながら、ライラは林檎の香りのお茶を口に含んだ。自然な柔らかい甘みが、口に広がる。
「美味しい……ほっとする味だわ」
 娘がいたら、このような時間を過ごすことも可能だったのかと思う。ライラとイークの間にはルイシェ一人しか産まれなかったから、ライラは娘がいるという生活に憧れていた。
 そんなことを考えている最中、ふと、リシアの胸元に目がいった。ルイシェがリシアに贈った、蒼い宝石のついた首飾りが飾られている。
「その首飾りは気に入ったかしら?」
「ええ、とても。あの、そう言えば……初めてお会いした時に、ライラ様、良き持ち手を得たとかって仰ってたのですけれど……」
 不思議そうに尋ねるリシアに、ライラは応えた。
「ええ。言葉通りの意味なのよ。色が綺麗に澄んでいるから、そう言ったの。私も詳しいことは知らないのだけれど、石の機嫌がいい時は澄んだ色なんだと、イーク様に聞いたことがあります」

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