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 次の日の朝、衛兵の詰め所では、三人の衛兵達がリーザのことを話していた。
「リーザ殿が泣いてテイル様に縋り付いてたって?」
「縋り付いてはいなかったです。泣いていたんです」
「僕には、テイル様に慰めてもらってる風に見えました」
 二人の若い見習い衛兵は、先輩の目の前でガチガチに緊張しながら、報告をした。
 長い一日の引継を行った後、詰め所で報告を上の人間にするのが見習い衛兵の務めだ。そして、この日若い衛兵が報告できるようなものといえば、リーザのことくらいしかなかったのだ。思わぬことに、先輩の衛兵が仕事を離れてその話に食いついてきた。きっと、彼も一日暇だったのだろう。
 先輩衛兵は、呆れたように肩を竦めた。
「さすが、王の妾だけあるなあ。たんこぶの王女がいなくなって落ち着いたら、すぐに男漁りかよ。前に求婚者とかいう男も来てたしな。ああいうのを、魔性の女っていうのかねえ」
 予想もしていなかった展開に、見習い衛兵達は、慌ててリーザの名誉を回復しようと頑張った。二人とも、リーザのことを悪く思ったりはしていない。
「リ、リーザ殿はそんな人じゃありません! 本当に悲しそうに泣いてました」
「その通りです。テイル様はたまたま通りがかっただけのようでした」
 先輩衛兵は、笑いながら顔を横に振った。
「これだからガキはなあ。それが手なんだって。美人だからって、あの女の外見にコロッと騙されるなよ」
「そんな……」
「あの女、俺らみたいな衛兵を馬鹿にしてやがるんだ。俺が前に飲みに誘ったら、断ったんだぜ。あれだけ媚び売っておいて、自分の相手はほんの数人の王侯貴族だって言ってやがるのと同然だ」
 どうやら、先輩衛兵はリーザに恨みがあるらしい。リーザのことを悪し様に罵る。この城に来てまだ日が浅い見習い衛兵達は、俯いて悪口雑言を聞くしかなかった。
 城内で、リーザのことを妬む者は多い。リーザに遠ければ遠い人間ほど、その傾向は強かった。この衛兵もいい例である。
 このような噂があるとは聞いていたが、通りすがりにとはいえ、実際に耳にするのは気持ちのいいものではない。
 テイルはコホン、とわざとらしい咳をしてみせた。中にいる三人が一斉に飛び上がる。
「おはよう。テイル・レイオス・エルスだ。朝早く済まないが、君を馬鹿にしたというリーザに面会したい。いいかな?」
 テイルは、にっこりと詰め所の入り口で先輩衛兵に向かって笑いかけた。それまで絶好調で喋っていた先輩衛兵の顔が、面白いくらい急にすうっと青ざめる。
「テ、テイル様……」
「面会時間以外に使用人への面会を許可してもらうのはここでよかったと思うが?」
「は、はい、そうです。な、何用でございますか?」
 先輩衛兵は動揺しながらも、何とか尋ねた。
「極秘任務の手助けをお願いしていてね。その打ち合わせだよ。ついでに飲みに誘ってもいいが、俺も断られるだろうな」
 にっこりと、先輩衛兵に向かって親しげな笑顔を見せるテイル。先輩衛兵は脂汗を流して、立ち尽くしている。見習い衛兵達は、窮地に追い込まれた先輩を救うきっかけも動機もなく、ただ目の前の光景を見つめているだけだ。
「で、入館は許可してもらえるのかな?」
 あくまでも爽やかに尋ねるテイルに、先輩衛兵は言葉もなく、こくこくと何度か頷いた。
「ありがとう」
 笑顔はそこまでだった。必要以上に愛想の良かった表情と声が、がらりと変わる。衛兵達の目には、テイルが急に大きくなったように見えた。
「……クズだな、お前。自分を恥じろ」
 低い声に、言われた先輩が「ひっ」と小さな悲鳴を上げる。テイルが現在、国一番の剣士であることは誰もが知っている。その迫力は、相当なものがあった。
「見習達。こいつを信じるなよ。君達の発言がねじ曲げられたのを聞いたようだから、」大丈夫だとは思うが。もしこいつがまた同じような噂を振りまいているのを聞いたら、俺のところへすぐに駆けつけろ。こいつは王と王子に対し、侮辱罪に当たることをしている。今回は気の迷いということで見逃すが、二度目は確信犯として引っ立てる」
 見習い達は姿勢を正し、真剣な返事をした。テイルが頷く。
「君達の目の方が確かなようだ。信頼してるよ」
 威厳を保ったまま、テイルが背を見せる。
 先輩衛兵がずるずると床に座り込んだのは、テイルが詰め所を出たのと殆ど同時だった。
 
 リーザが面接室に呼ばれたのは、それから少しのことだ。
「おはよう、リーザ。朝早く済まないね」
 広いとはいえない面接室の中で、テイルが足を机の上に乗せてのびのびと座っている。リーザが来ると、テイルは足をすぐに下ろした。
「まあ、テイル様……まさか、もう手がかりが掴めたんですの?」
「そ。本当は夜中までにはもう分かってたんだけど、そんな時間に尋ねたら良からぬ噂も立つしね。それにしても、君も大変だなあ」
「は?」
「いや、こっちのこと。まあ、かけなよ」
 椅子を勧められて、リーザは素直に向かいの席に座る。
「さて。昨日の件だが、必要だと思われる情報はほぼ集めたよ」
 まるで、昨日飲みに行ってきたよ、と言わんばかりの口振りで簡単にテイルは言う。だが、離縁して名字も変わっている妻の足取りを掴むのが難しいであろうことは、リーザにもよく分かっていた。
「結果からいえば、やはりダシルワの家族はネ・エルス市内にまだ住んでいる。ルエン家の親なんかは、取り潰しの前に死んでるみたいだな。今所在がわかっているのは、元妻と二人の娘。何のことはない、実家に戻って暮らしていたよ。シロン男爵家だ。元妻のジェーナというのが、なかなか感心でね。二人の娘を育てる為に、家で編み物の教室を開いている。内職もしてるみたいだな。娘は今、十二歳と九歳。この娘達も母親を手伝ういい子らしいぜ」
「娘……がいるのですか?」
 思っていた以上に詳しい情報だ。リーザは信じられない思いでテイルに聞き返した。
 かつてリシアが拐われた時に、話を聞いたことがある。リシアによれば、ダシルワはリシアを殺した方がいい、と口にしたのだという。他の者に止められ、それを諦めたのだと。
 自分に娘が……いや、子がいながら、他の少女を殺すことを唆す。ダシルワとはそういう男なのだ。果たして家族のことを持ち出して、すんなりと印璽を渡す気になるのかどうか。リーザの胸に不安がよぎる。
「ああ、男の子には恵まれなかったみたいだね。もしジェーナと離婚していなければ、機会もあったかもしれないが」
 リーザは大きく呼吸して、気持ちを落ち着けた。今は、感情は後だ。やれることはやっておかなければならない。
「元の奥さん、ジェーナさんには、シロン家に行けば会えますのね?」
「その筈だね。どうする? 俺が行こうか? それとも二人の方がいいかな」
 首を傾けてテイルが尋ねる。
「二人の方がいいと思いますわ。同性がいるというのは、それだけで女の人を安心させるものですから」
 迷わずリーザは即答した。別れた亭主のことを聞くのだ。普通、男性にぺらぺらと話したりはしないだろう。それくらいのことは、未婚のリーザにも良くわかる。
 テイルがほっとしたように頷く。
「そうだろうな。今回は危険もなさそうだし。エクタには俺の手伝いということで、話を通すよ。それならば仕事も気にせずに済むだろう」
 その言葉に、テイルの責任感の強さと気遣いが現れていた。リーザが二日連続で王城から離れることまで心配しているのだ。普通の人間だったら気のつくところではない。リーザは恐縮して頭を下げる。
「申し訳ございません、テイル様。そのようなことまで……」
「気にするなって。実際、君の手が必要なんだから」
 さらりと流してから、テイルがおもむろに腕組みをした。急に口調が変わる。
「さて。ここで、君にお願いがある」
 真面目な表情の中で、目だけが笑っている。こういう表情をするときのテイルは、余りいいことを考えているとは言えない。ここのところの付き合いでそう理解してきたリーザは、何だか嫌な予感がした。それでも取りあえず、訊いてみる。
「一体、何ですか?」
「自分がいた方が女の人を安心させられる、ってさっき言ってくれたよな?」
 リーザは何となく尻込みしながらも、頷く。
「君も言ったとおり、確かに俺よりは君の方が、会いに行く主体としては適当だ。ということは、会いに行ったとき、俺が主人で君が侍女でという雰囲気では不自然だよな」
 テイルの言いたいことが段々分かってきて、リーザは青ざめた。そのリーザの表情を見て、テイルがにぱっと笑った。
「流石リーザだ。身分を反対に見せかける必要があるってことを、すぐに理解してくれたようだ」
「あ、あの、テイル様?」
「君は貴族の令嬢、俺は君の従者。そういう芝居を打つのがいいと思う。いいね?」
 とんでもない「お願い」だ。リーザはそれだけは断ろうと、口を出そうとした。が、テイルに先手を打たれる。
「もし駄目なら、残るは夫婦役だね。俺としては、そっちの方が嬉しいかな? 恋人役だっていい」
「うっ」
 リーザは恨めしげにテイルを見上げた。絶対に夫婦役はやらないと見越しての、テイルの余裕の発言だ。実際、貞操観念のしっかりしすぎたリーザには、テイルとの恋人や夫婦役などは絶対にできそうにない。
 そんなリーザの顔をみて、テイルが楽しげににっこりと笑った。
「じゃあ、君が俺のご主人様でいいね? 大丈夫、服ならば俺の家に、姉が残していったものがあるから。ほらほら、そんな顔しない。セルク君の為だよ?」
 畳みかけるテイルに、リーザは思った。
 もしかしたら、テイルは普段、物凄くストレスが溜まっているのかもしれない、と。
 そして、今回のことでは真面目に取り組みつつも反面、徹底的に楽しもうとしているのかもしれない、と。

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