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 リーザがよろけながらテイルと共にレイオス家に向かって、僅か三十分後。
 王宮の正門を抜けたところに、セルクの姿があった。普段から精悍な男なのだが、今日はいつにも増して凛然たる様子だ。
 朝のうちに会いに行こう、と決めてすぐにやってきた。考えすぎると、またろくでもないことになるに違いないからだ。
 門番に教えられた通り、衛兵の詰め所に顔を出す。白い息を吐きながら、セルクは訪問の意図を告げた。
「おはようございます。こちらで侍女をしている方に面会をしたいのですが」
 中にいたのは、先程テイルに凄まれていた先輩衛兵が一人。新米達は引継を終えて帰っていたのだ。先輩衛兵の方はまだ、交代の時間にはなっていないのだろう。
「誰に?」
 挨拶を返しもせず、衛兵が不機嫌に問う。エルス王城にもこのような人物がいることに驚きつつ、顔には出さずセルクは丁寧に答えた。
「リーザ・ロウリエン殿です。私用なのですが」
 衛兵は、あからさまな嫌悪の表情を浮かべた。
「またかよ。デートのお誘いなら、あの女、いないぜ。ついさっきテイル・レイオス公爵サマと一緒に出かけたからな」
「テイル様と?」
「そ。諦めな」
 衛兵は、続けて何かを言おうとしたが、口を歪めて閉ざした。先程のテイルの灸が効いているらしい。
 その様子に気づかず、セルクは肩を落とした。間の悪さにかけては筋金入りだということを、改めて感じていたのだ。
「それでは、出直します。失礼致しました」
 丁寧に礼をし、詰め所を出る。衛兵は振り向きもしなかった。
 テイルは、すぐに王宮を立ち去る気にはなれなかった。そうしてはいけない場所だと知ってはいる。が、つい先程までリーザがいた場所だ。そう思うと、離れ難かったのだ。
 エルス国の冬の朝は、一日の寒暖差が大きいイェルトに比べれば暖かく、気持ちが良い。詰め所から門への間をゆっくりと歩いていると、後ろから元気な若い女性の声がした。
「あれえ? セルクさんだ!」
「うそっ! だって、セルクさんはイェルトに……あれ? ほんとだあ」
 振り向くと、数人の若い侍女達が喜色満面の笑みを浮かべて小走りにやってくるところだった。去年、看病をしてもらった侍女達だ。あっと言う間に取り囲まれてしまう。
「お、おはようございます」
 戸惑いながら挨拶をすると、侍女達から黄色い悲鳴が上がった。
「きゃー、おはようございます! 相変わらず可愛いーっ」
「おはようございます! 今日はどうなさったんですか? こんなに朝早く」
「ばっかねえ、決まってるじゃない。ルイシェ様かリシア様のご命令でエクタ様に会いにきたのよ。ちょっと待ってて下さいね、私、行ってきますー!」
 怒濤のように交わされる会話。止める間もなく、一人が宮殿に向かって全速力で走り出す。
「ええ? 私に会いにきて下さったんじゃないんですか? なんてね」
「違うわよ、私に会いにきて下さったんですよねえ? セルクさん」
「まさかこの一年の間に、結婚なんかなさったりしていないですよね?」
 四方八方から詰め寄られ、その迫力にセルクは一歩退いた。
「その、ま、まだ独身ですが……」
 その言葉に、再び高い歓声が沸く。
「じゃあ、恋人に立候補も可能ですか?」
「あーん、それ、私が言おうと思ったのにい」
「だめだめ、セルクさんはみんなのものよ。一人で独占なんて、絶対だーめ」
「あ、イェルトって一夫多妻制なんですよね。この際どーんと、全員まとめて貰ってくださあい」
「それいいかも! ねえ、セルクさん、いいでしょう?」
 こんなことに頷くことができるわけもない。セルクはすっかり玩具にされてしまったことを感じながら、逃げ場を求めて周囲を見回す。
 と、さっき走って行った侍女が、今度はエクタの袖を引っ張りながら全速力で戻ってくるのが見えた。
「エ、エクタ様を、お連れ、しましたああ!」
「あ、ありがとうございます」
 息を切らせながら誇らしげに叫ぶ侍女に、セルクが仕方無く礼を言うと、侍女ははちきれんばかりの笑顔を見せた。
 侍女に引っ張られて後ろからついてきたエクタは、完全に戸惑ったような表情だった。軽く息を弾ませて、心配そうにセルクに尋ねる。
「セルク、久しぶりだね。どうしてここに? イェルトで何かあったのかい? リシアかルイシェに異変でも?」
 セルクは意ならずも久々に会うエルス国の王子に、慇懃に頭を下げた。
「お久しぶりでございます、エクタ様。私用にてこちらに参ったのですが、挨拶をと存じまして。お呼び立てなどしてしまい、大変申し訳ございません」
 侍女達の面目を潰す訳にもいかない。そう挨拶せざるを得なかった。
 エクタはほっとしたように、蒼い目を優しく細めた。
「何だ、そうだったのか。この子が凄い勢いで飛び込んでくるから、何事かと思ったよ」
 憧れの王子に視線を向けられた侍女は、「ごめんなさあい」と小さく謝った。軽く頷いて、怒っていないことを侍女に示すと、エクタはセルクに改めて向き直った。
「わざわざ挨拶に来てくれてありがとう。折角だから、中で少し話しでもしないか? 二人の様子も詳しく聞いてみたいし」
 エクタに誘われて断る訳にもいかない。それに、尊敬する王子に会えて嬉しいというのも、セルクの本心だ。
「ありがとうございます。お邪魔にならないのであれば、そうさせて頂きます」
「じゃあ、僕の執務室に行こう。ここはちょっと寒すぎるからね」
 残念がる侍女達に見送られ、セルクはエクタの後に続く。
「それにしても、君はうちの侍女達に凄い人気だね」
 ひらひらと手を振る彼女達の視線が届かなくなるとすぐ、エクタが楽しそうに笑い始めた。セルクは顔を赤らめた。
「本国では、こんなことはないのですが……多分、物珍しい動物のように思っておられるのでしょう」
「それは違うよ。エルス国の戦いを忘れた男達にはないものが、君にはあるんだと思う。女性は勘が鋭いからね」
 その声音に、はっとセルクはエクタの顔を見つめた。
 エクタの整った顔から、笑顔が消えていた。それまでに見たことのない厳しい表情が、代わりに浮かんでいる。
「何か、あったのですか?」
「そうだね。君が来たのも、偶然じゃないと思う。君にもだけれど、ルイシェにも耳に入れておいて欲しい話があるんだ」
 無言のまま、二人は執務室へと向かった。
 執務室は、書類が山積みの机が一つ南側に、その前に小さな会議を開けるくらいの机と椅子が置いてある。西側にある暖炉ではパチパチと心地よい音を立てて火がはぜ、部屋はすっかり暖まっていた。エクタがこんなに朝早くから仕事をしていたのが分かる。ことによれば、一晩中ここにいたのかもしれない、とセルクは思った。ルイシェも、結婚する前はそうしていたからだ。
 人払いをして二人きりになった部屋で、エクタが重々しく切り出した。
「その後、イェルトではバルファン教、或いはミスク国からの干渉はあったかい?」
 思わぬ質問に、セルクはどきりとした。ダシルワのことを、エクタがもう知っているのかと考えたからだ。が、それにしては質問の方向性が違っていることに気づいて、不審を抱く。
 ダシルワのことは口にしない方がいいだろう、と判断し、セルクはそれ以外の現状を告げた。
「いえ、その後バルファン教は姿を見せず、ミスク国との国交は断絶しております。ここ一年、おかしな動きはありません」
 じっと聞いているエクタの表情が硬い。嫌な予感がして、セルクは尋ねていた。
「こちらで何か起こったのですか?」
「ああ。ついこの前、ミスク国から刺客が送られてきた。侍女に扮した女性が、僕の命を狙ってきたんだ。内々に処理をしたから、ごく一部の者しか知らない。リーザも気づかなかったと思う。大抵の者は、新しい侍女が来て、家の事情ですぐに辞めていった程度にしか思っていないだろうね」
「なっ……」
 あっさりと打ち明けられたものの、事の重大さに、セルクは絶句した。
 そんなセルクを目の前に、エクタは語り始める。
「ミスク国、並びにバルファン教の実質的な指導者、アーク王子は野心家だ。頭もいい。アリアーナ大陸に進出するにあたり、様々な国の内情を考察して、それぞれの戦略を仕掛けてきている。最初のマズールでは戦争に力を貸し、続くイェルトでは王家の不協和音に目を留め、宗教という形で入り込んだ。どちらも失敗したけれどね。それでも彼はどうしてもアリアーナ大陸が欲しい。豊富な資源、豊富な奴隷。彼の目には、それらが映っているんだろう」
 エクタの目に翳りが浮かぶ。
「確かに今、エルス国は狙い目なんだ。ここ数十年は戦争も無く、若者は戦い方を知らない。戦争を仕掛ければ勝機があるとミスク国が思うのも当然だよ。そのきっかけに、世継ぎである僕を狙うのも、大胆だがいい手だ」
 表情こそ暗いが、落ち着いた口調だ。ショックで固まっていたセルクにも、ようやく口を開く余裕が出てきた。
「何故、我が王にすぐにお知らせ下さらなかったのですか? 重大なことです、すぐに国際会議を開き、対策を考えるのが宜しいかと」
「僕を殺したにせよ殺せなかったにせよ、今回のことが表面化すればエルス国の人民は浮き足立つ。それこそが、彼の作戦だからね。だから、今回のこともルイシェに知らせるかどうか悩んでいた。ちょうど君が来てくれたから、こうやって話をしているんだよ。このことを、彼に伝えてくれるね?」
 エクタの視線がまっすぐ、セルクに向けられる。セルクはしっかりと頷いた。
「勿論です。戻り次第、王にお伝えしましょう」
「助かるよ」
 エクタはふっと微笑んだ。その笑みは、淡雪のように儚く、すぐに消える。
「セルク。いずれエルス国は戦争に巻き込まれるだろう。外交努力を続けてはみるけれど、ミスク国と我が国は価値観が違いすぎる。彼らはいずれ攻め込んでくるよ。父も知らない戦争の時代が、すぐそこまで来ている」
 感情を抑えた、静かな声だった。
「その前の最後の平和な時期に、慌ただしくなる前に……リーザを、幸せにして欲しいんだ。彼女に後悔させたくない。今、リーザに付き合っている人がいるとは知っている。けれど、彼女が本当に好きなのは、君だと思うよ」
「エクタ様……」
「頼むよ。出過ぎた真似だとは分かっているけれど、いつまでこんな時を過ごせるか、分からないんだ」
 エクタ声が微かに震える。侍女でありながらここまで家族として愛されるリーザ。セルクは、その重みを受け止めなければならないと思った。
 立ち上がって頭を下げるエクタの前に、セルクは恭しく跪く。
「私が今、エルス国にいることは、一つの運命だと思っています。エクタ様に御心配をかけなくとも、私はリーザ殿の幸せだけを願っています。実は今日、ここに来たのも彼女に会う為でした。今のお話で、更に強く心が固まりました」
「じゃあ……」
「リーザ殿の本心のままに。そうなるよう、力を尽くします」
 エクタの顔に、安堵の表情が浮かんだ。姉を心配する少年のような顔だ、とセルクは思った。

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