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  レイオス家では、テイル付きの双子の若い侍女ルルゥとリリィが、感嘆の声を上げていた。
「うわぁ」
「すごーい、ですー」
 その側で、飾り気のない従者の服に着替えたテイルが言葉もなく、魂を抜かれたような顔をしている。
 彼らの目の前には、他国に嫁いだテイルの姉ミリアの服を身に着けた、美しいリーザの姿があった。
 芳しい香油をすり込み、艶やかに纏め上げられた栗色の髪。控えめな色を、と彼女が選んだパールグレーのドレスは、リーザの魅惑的な肢体にぴったりと沿って、且つ品良く流れている。大人ならではの知性と華やかさを備えた、貴族よりも貴族らしい女性が、そこにはいた。
 リーザは、周囲の視線に頬を赤らめ、俯いた。
 貴族の服を着るのは、勿論生まれて初めてである。しかも、その服は大陸中で知らぬ者がいない「アリアーナの戦姫」ミリアのものである。彼女のかつての華々しい活躍を知り、それに胸をときめかせていた人間としては、嬉しいという気持ちがあるが、後ろめたさのようなものが先に立ってならない。
「あの、申し訳ありません。ミリア様の御衣装を……」
 リーザの言葉に、それまで呆けていたテイルが変な咳払いを一つして、首を横に振った。
「いや、姉がいらないと言って置いていったものだからね。気にしないでくれ」
 テイルの言葉を後押しするように、双子の侍女が次々に話し始めた。
「そうですよー。本当に、綺麗ー。ミリア様だって、今のリーザさんご覧になったら、喜ばれると思いますー」
「うんうん。見せて差し上げたいですう。同じドレスでも、ミリア様とは雰囲気が全然違いますう」
「ミリア様は格好良かったけど、リーザさんは綺麗って感じ。どっちも憧れちゃいますー」
 開けっぴろげな賛辞を繰り広げる二人に、テイルが茶々を入れる。
「姉上が格好いい? あの筋肉化け物とリーザを比べたら、可哀想だよ。それに、憧れるのはいいけど、君達リーザみたいな美人には絶対なれないよ?」
 途端に素晴らしいスピードで小さな拳が二つ、テイルに向かって繰り出された。
 ボコッ! バキッ!
 拳は、テイルの胸と腹に綺麗に入る。ルルゥとリリィが同時に繰り出した、必殺双子攻撃である。「うぐっ」とくぐもった声を漏らし、テイルは蹲った。
 目の前の光景に唖然とするリーザを後目に、双子はきゃんきゃんと喚き始めた。
「テイル様、最低ですう! ミリア様を侮辱するのは許さないんですから」
「それに、ルルゥとリリィはこれからリーザさんみたいなすっごい美人になるんですからねーっ! 失礼な事言わないで下さい」
「後で謝っても遅いんですからねえ!」
「大体、何でリーザさんに素直に『綺麗だね』って言えないんですかー?」
「だから、女の人にはもてないんですよう」
 テイルが蹲ったまま、恨みがましい目で二人の侍女を見上げる。
「君達ねえ。論点がずれかけてるよ……っていうより、すぐ暴力振るうのは良くないって誰かに習わなかった?」
 双子は綺麗に声を合わせた。
「テイル様は例外で、殴っても死なないって、ミリア様に習いましたっ!」
 テイルの頭ががくりと下がる。どうやらこの家の当主である彼の立場は、侍女よりも遙かに低いものらしい。
 完全に尻に引かれているテイルを見て、リーザはいつしか笑いを堪えきれなくなっていた。口に手を当てて吹き出すのを堪えていると、先に双子が吹き出した。釣られてリーザが吹き出すのを見て、テイルも仕方なさそうに笑い始めた。その様子がおかしくて、双子とリーザは涙が出るほどに笑っていた。
 ひとしきり笑ったところで、テイルがそれまでとは打って変わった様子で立ち上がり、場を締める。
「さて、そろそろ動いた方がいい時間だな。準備も整ったようだし、シロン男爵家に向かうことにしよう」
 その言葉で、ルルゥとリリィの表情も変わったのには、リーザも驚いた。別人のようにぱたぱたと働きはじめた彼女達には、主人を馬鹿にするような表情は一切見られない。まだ十四、五歳という非常に若い侍女だが、仕事と息抜きの区別はきっちりとつけているのだ。王宮に欲しいくらいである。
 十分も経たないうちに、リーザは毛皮のコートを纏い、馬車酔いしないようにと静かに走っている馬車の中で、テイルと向かい合わせになっていた。
 テイルは、リーザの不安を減らしてくれるかのように、次々と話し始めた。
「いいかい、リーザ。君はエルス国の外れに住む、ロウル男爵家の令嬢だよ。花嫁修業の為に、編み物を習いたいとでも言えばいい。紹介者は、ハイム子爵家と言っておいてくれ。あそこの若夫人マイナが通っているんでね。細かいところは適当に嘘をついてくれて構わない」
 口早に説明された設定を、リーザは必死に頭に叩き込む。
「ロウル男爵家、ですね。聞いたことがないのですが、本当にあるおうちなのですか?」
「架空の家だよ。まあ、エクタの補佐をしている君よりジェーナの方が貴族に詳しいということもないだろうし。後は、君の知っている貴族の話でもすれば信じるさ。マイナのことは知っているかい?」
「ええ、お名前とお顔が一致するくらいですけれど……」
「充分だよ。あとは、君が貴族らしい口調にするだけだ。俺のことは目下の者として扱うこと。そうそう、偽名は俺がフェル、君がレジーでいいかな? ありふれた名前の方がいいだろう?」
 テイルが悪戯っぽく笑う。やはり、最後にはこの問題に立ち向かわなければならないらしい。リーザは、覚悟を決めた。たまたま出たレジーという名は、友人の名でもある。忘れることはないだろう。
「わかりました、フェル。あと何分くらいでお屋敷に着くのかしら?」
 相手がテイルで、許されていることとはいえ、身分が上の者に対してこのような言葉遣いをすることは酷く緊張する。声が少し掠れた。
 テイルが一瞬口元を緩めた後、行き過ぎかもしれないような生真面目な声で答えた。
「あと五分程になります、レジー様」

 セルクは、レイオス家の門を叩いていた。エクタの話を聞いて、一刻も早くリーザに会いたくてたまらなくなったのだ。これまで費やしてしまった無駄な時間。それを取り返そうという気持ちも大きかった。
 門番は厳しい眼差しで誰何してきた。王宮の衛兵より余程身体も大きく、緊張感を身に纏っている。戦う人間だ、ということを、セルクは直感的に感じた。簡単に中に通してはもらえないかもしれない、という考えが走る。
 しかし、セルクの名を聞くと、その厳しい門番は思いがけずあっさりと中へ通してくれた。
「あなたのことについては伺っています。前にこちらにいらしたことがありましたね、よく覚えております」
 門番は懐かしそうに言う。
「あの時、こちらの地下門を守っていたのが私でした。お変わりないようで、何よりです」
「そうだったのですか。あの時は、お世話になりました」
 記憶の中に彼の顔は残っていなかったが、セルクは丁重に礼を述べた。厳つい顔に照れたような笑みを浮かべた門番に、親近感を抱く。
「テイル様はいらっしゃいますか? 一緒の女性も」
 尋ねてみると、門番は申し訳無さそうに首を横に振った。
「先程出られました。いつ戻るかは分かりませんが、中の侍女にでも聞けば分かるでしょう。道はここを入って真っ直ぐです」
 指し示されるまま、落胆した気持ちを抑えてセルクは歩き出した。
 一度ずれてしまった歯車を噛み直させようというのは、これほど難しいことなのか、とセルクは改めて思い知らされた。自分の思い立った日が吉日とは限らない。だが、それが今まで立ち止まっていた結果なのかもしれないとも感じる。
 門から城までは、かなりの距離がある。間には堀もある。前にも思ったが、ここを攻めるとすれば、かなりの装備が必要になるだろう、とセルクは思った。昔、命を脅かされた時に、ルイシェ王の母であるライラをここに匿ってもらったことがあったが、それだけ安全な場所でもある。
 見えてきた城は、外見からして堅固である。外を覆う硬そうな灰色の石は、建てられてから数百年になる筈なのに殆ど毀れていない。外と中を分かつ扉は、重く燃えにくい樫材で作られていた。
 セルクは息を軽く吐き、大きな獅子の頭のついたノッカーを叩いた。
 中から出てきたのは、意外なことに、見分けの全く付かない若い双子の侍女達だった。前に訪れたときはばたばたとしていたので、こんな侍女がいたことには全く気がついていなかった。
「あぁ、惜しい、ですぅ」
「ちょっと前に、テイル様とお出かけになっちゃったんですー」
 リーザに用があることを告げると、二人は困ったようにのんびりと首を対称に曲げた。まるで打ち合わせていたかのような動きだ。城が持つ緊張感とはかけ離れた、ほんわりした雰囲気が辺りに漂っている。
「ええ、門番の方に伺いました。どれくらい時間がかかるものか、御存知ではありませんか? どちらへ行かれたかは?」
 同時に同じ顔が残念そうな表情を浮かべ、横に振られる。
「あのう、行き先は知ってるけれど、お仕事なので、邪魔しちゃ駄目なんですー」
「でも、セルクさんのお名前は、テイル様から前に伺っていますぅ。大切な御用事でしたら、お待ちになりますぅ?」
「後でテイル様達に、いらした旨をお伝えもできますけどー」
 何の用事だろう、とセルクは少しだけ訝しんだ。先程のエクタの言葉がまだ頭から離れない。もしかしたら、エルス国に潜むミスク国の人間でも内偵しているのか。危険なことでなければいいが、と思う。
 だが、リーザの仕事の内容を無理に聞き出すような愚は、犯したくなかった。円らな瞳を並べて、答えを待ち望む双子に、セルクは頼んだ。
「手紙をリーザ殿に書きたいのですが、書く物を貸して頂けませんか? テイル様には日を改めてご挨拶に参ります」
 はーい、と間延びのした返事の割には素早く、双子のどちらかが紙とペンを持ってきた。薄い木でできた下敷きもつけている。幼い見かけよりは余程気が利くようだ。
「恋文ですかあ?」
 何を書こうかと少し迷っていると、一人が興味津々といった様子で声をかけてきた。途端にもう一人が牽制する。
「駄目よ、ルルゥ。お客様にそーいうプライベートなことは聞いちゃいけないって、テイル様に言われてるでしょ?」
「だって、リリィだって聞きたそうにしてたもん。二人で聞くより、一人が聞いた方がいいと思ったんだもん」
「でも、駄目なのー。ぷらいばしーなのー」
「分かってるけど、知りたいのお」
 いきなり口争いを始めた二人に、セルクは苦笑した。可愛らしいといえば可愛らしいが、この調子で喋られてはテイルも苦労しているだろうと思ったのだ。
 まだ言い争っている二人を横に、セルクは手紙を書き始めた。
 金の麦亭で会いたい、ということを。
 自分の素直な気持ちを。
 言葉は短いけれど、全身全霊を込めて。
 そして、最後に自分の署名をする。
 封筒に入れ、蝋封をしてから、口論を止められて少し残念そうにしている双子に渡した。
「これを、リーザ殿にお届け願いたいのです。宜しくお願いします」
 それから、自分でも驚くことに、にこりと笑って双子にこう言ってしまった。
「恋文です。振られるかもしれませんが」
 びっくりした顔をしている二人に去辞を述べ、セルクはレイオス家を後にした。
 手紙という残るものを書いたことで、完全に気持ちが固まったのかもしれない。
 悪いことを考えるのは、やめることにした。

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