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 商業地区からほど近い所に、そこで働く人々の居住地がある。公爵家であるタランス家を中心として、上から見れば半円を描くような形になっている。貴族の地位を持つ紳商、爵位こそ持たぬものの劣らず裕福な豪商。それを囲むように、中堅の商家、更にその周りには限りなく細々とした家が軒を連ねている。
 バイレン・タークを名乗るダシルワの家は、中堅の商家が並ぶ一角で、夕陽の鈍いオレンジ色に染まっていた。身を隠している意識はあるのか、目立つ外観ではない。が、その中は贅を凝らした空間であることを、セリスもセルクも知っている。
 ジェーナは、半分呆然としたような様子で邸宅を見上げていた。
 仕方がないだろう、とリーザは思う。目立たず、そんなに大きくはない家だが、ジェーナの館に比べてみれば裕福であるのは一目瞭然だった。張り替えたばかりの真っ白な外壁、冬にも枯れることを知らぬ、青々とした美しく刈り込まれた生け垣。彼の過去の償いに窮しているジェーナにとっては、一つの衝撃に違いない。
「もう、帰ってるようだな」
 家から少し離れた場所に止めた馬車の外で、セリスが呟いた。門の内側にある厩には、仕事を終えたらしい馬達がのんびりと干し草を食んでいる。
「大丈夫ですか?」
 セルクが、蒼白になって立ち尽くすジェーナを気遣った。先程からジェーナは一言も発していなかったが、邸宅を凝視したまま、しっかりとした様子で頷き、漸く言葉を発した。
「……私なら、大丈夫です。少し驚いてしまって」
 強い人だ、とリーザは思う。ついこの間、初めて会った時には何と繊細な人なのだろうとも思った。しかし再び会って話を聞くうちに、その印象は覆されていた。他人の助言があったからとはいえ、どこまでも事態を改善しようと努力するジェーナの強さは、痛々しくも美しい。
「じゃ、行くぜ。何とか片を付けちまおう」
 セリスが、館を睨み付けるようにして、一歩を踏み出した。

 イェルト国。夕陽が差し込む王の執務室では、ルイシェが形の良い眉を寄せていた。その側にリシアの姿はなく、代わりに一人の側近の姿がある。ルイシェの手には、細々とした字が書き込まれた羊皮紙が二枚あった。
「とうとう、来たか」
 跡継ぎの無いまま亡くなったフェノルト領主の代理人と、ラグドア領主からの任命申請書である。正式に、ラグドア領主がフェノルト領主も兼任することになった推移が事細かに記され、同意の署名もある。
「前王の頃であれば、三日程で任命書を発行しておりましたが……」
 父の代から同じ任務に就いている初老の側近である。父に接するのと同じように接してくれる彼には、ルイシェも一目を置いている。今回印璽がある人物に持ち去られ、現在奪還中であることも彼には知らせている。
「三日、か。まだ、セルクが旅立って一週間も経たないのに……厳しいな。書類に不備は?」
「残念ですが、ございません。ただ、ラグドア領までは通常馬で二日かかります。使者を急がせれば、一日」
「一日の猶予があるというわけか。それでも、四日」
 セルクが明日の早朝エルス国を出発して、ぎりぎり間に合うかどうかというところである。
「いざとなれば、恥を忍んでラグドア領主に事態を説明するしかだろうね」なさ
 ルイシェは平静を装って口にした。側近の顔の皺が深くなる。
「できれば避けたいものです。ラグドア領主は、元々ルイシェ様の政策に反対なさっております。頼りにならぬ王との噂を広めて、それをきっかけに政策の大幅な改革を要求してくるかもしれません。やはり、セルク殿が印璽を持ち帰って下さるのが一番ではあります」
 率直な意見に、ルイシェは天を仰いだ。
「やはりセルク任せか。僕はセルクにいつも無理をさせてしまっているな」
 少しの間、沈黙が漂った。誰かが否定するには、セルクは働き過ぎていたのだ。セルクと同僚となった側近は、そのことを良く知っている。
「差し出がましいようですが、御提案がございます。聞いて頂けますか?」
 側近は、心なしか声を潜めた。
 そっと耳打ちされた提案に、ルイシェはどういう感情からなのか、軽く眉間に皺を寄せた。

 夕食の準備が遅れていた。苛々を宥める為に、金色の器に盛った色とりどりの砂糖菓子を一つ手に取り、口にする。
 本当は、砂糖菓子など好きではない。しかもこの砂糖菓子はご丁寧にも、動物の形をしている。子供の食べ物だとダシルワは思う。
 子供、という言葉が、ふと引っかかった。そして自分にも娘がいたからだ、と思い出す。
 舌足らずに喋っていた上の娘と、寝ているか泣いているかしか記憶にない下の娘。かつての自分と同じような黄色い髪の毛をしていた。妻には余り似ていなかったように思う。外見的な意味合い以外で可愛いと思ったことは、一度もなかった。
 男の子だったら、とダシルワは考え、それから考え直した。男でも女でも同じことだ。遠くで見ている分には煩わしいこともないが、一緒の空間にいる子供は最悪だ。言葉すら通じない、訳の分からない、喧しい動物でしかない。
 妻には「あなたも子供だったことがあったでしょう」と賢しげに言われたことがあった。が、無性に腹が立っただけだった。もしかしたら妻の頬を叩いたかもしれない。自分が子供だった頃のことなど、関係のないことである。関係があるにしても、親はダシルワが小さな大人であることをずっと強制していた。子供に同じように要求して何が悪かったのか。
「食事はまだか」
 苛立ちを紛らわすように、ダシルワは声を張り上げた。
 厨房にいる筈の小間使いは、返事もしなかった。自分の声の残響が、相手を求めていつまでも部屋の中を漂っているような、そんな気分になる。
 家というのは、そんなに大きくなくとも一軒もあると一人には広いものなのだ。身体を横に大きくしたところで、その感覚は変わらない。
 淋しい、とは思いたくなかった。けれど、家で誰とも会話をしない生活を続けていると、人恋しくなるのも事実だ。若く静かな女でも、一緒に住まわせてみようかとふと思う。
 あの時も、そんな気持ちになったのだったか。
 両親が死に、引き継いだルエン家で好き放題していた。友人も良く遊びに来ていたし、淋しい筈はないのに、ふと人恋しくなることがあった。  
 それが全てではないが、それもあって結婚したのだと思う。
 短い間一緒に暮らした妻の顔が思い浮かぶ。特別美しくもなく、かといって特別醜い訳でもなかった。若く、まだ擦れていない感じと、自分の言うことを全て肯定したのが気に入った。
 頭の中で、妻が出ていってから何年が経ったかを思い出そうとする。一度も思い出そうなどと思わなかったせいか、自分の今の年齢すら曖昧で思い出せない。確実なのは、あの頃関わってしまった少年や少女達が、大人と呼べる年齢になってしまったということだ。
 とすると、娘達ももう大きくなったのだろう。もう大人ともある程度会話ができるようになっているのだろう。
 ダシルワは顔を歪めた。
 今日は、どうかしてしまっている。このように昔を回顧するなど、自分らしくない。あの頃が一番幸せだった筈などいないのだから。
 口の中の砂糖菓子はとっくに溶けきっていた。甘さの名残が絡み付いて気持ちが悪い。
 目の前の水差しからグラスに水を注ぎ、軽く口を濯ぐ。
 その時、金髪の小間使いが現れた。
「食事はまだか、と聞いたんだ」
 ダシルワはなるべく不機嫌そうに見えるように、横柄に尋ねた。
 ところが小間使いはそれには答えず、人を見下しているような目で、食事と全く関係のないことをつっけんどんに告げた。
「バイレン様。先日の方達がまたいらっしゃいましたが」
 全く嬉しくない報告に、ダシルワは思わず顔を歪めた。先日の、と言えば、彼らしかいない。一瞬、この不吉な報告をした小間使いを馘にしてやろうかとも思う。しかし、こんな小間使いでも、見つけるのには苦労したのだ。ぐっと我慢をする。
「如何いたしましょうか」
 小間使いは珍しく落ち着かない様子で、玄関のある方角をちらちらと見ている。不愉快な気分になりながら、ダシルワは二重になった顎を引き、通すよう無言で促した。
 もしかすると、イェルトでの失脚後、エルス国に舞い戻ったのは間違いだったかもしれなかった。一年ほど潜伏できたとはいえ、短い期間で居場所を知られたくない連中に見つかり、目を付けられてしまったのだ。この前、踏み込まれたことで、印璽を捨てようかとも思った。だが、捨てたとしても連中が信じるとも思えなかった。どこまでも白を切り通すしかないのだ。
 扉が開き、見覚えのある赤い髪が目に入った。続いて、珍しい銀色の髪。
 二人だけだと思ったのに、その後ろからは更に女性が二人続いてきていた。松明の強い光の影になって、顔は見えない。
 ダシルワはできうる限り如才ない笑みを顔に浮かべた。
「ようこそ、皆様方。これから夕食なのだが、一緒にどうだね? こんなに大人数で来ると前もって知っていたのなら用意をさせたのだがね、まあ、急いで出させれば何とかなるだろう」
 しかし、誘いに対する答えはなかった。四人は影のように静まりかえっている。ダシルワは訝しんだ。この前とは明らかに様子が違う。それに、あの女性達は何者なのか。
 背の低い女性が、ふうっと顔を上げた。炎に照らされて、きらりと目が光る。どこかで見たような、と思った。続いて、聞き覚えのある声が、耳に届く。
「……お久しぶりです」
 ダシルワは目を細めて、女性を良く見ようとした。それを察したのか、女性は二、三歩足を踏み出し、松明の光が射す場所へと進み出る。
「私を、覚えていらっしゃいますか?」
 悲しげな、柔らかい声音。
 ダシルワは思わず胸の辺りを手で掴んだ。その部分が、意味の分からない感情で爆発しそうになったからだ。
 忘れていたこともあった。だが、数年であれ一緒に過ごした相手を脳裏から完全に消し去ることなどできない。ついさっきも、久々に思い出して掌で転がしていた記憶の相手。
 それでも、辛うじてダシルワは妻の名を口にはしなかった。歪んだ笑みを浮かべて、強張った声を出す。
「思わぬ人間が出てきたものだ。動揺させようというつもりかな?」
 口ではそう言いながら、ダシルワはジェーナの姿に心を奪われていた。
 最後に会ってから、そんなに時間が経ったのか。彼女は、取り柄だった艶やかな若い肌を失っていた。目の周りには昔はなかった濃い隈。着ているものは、昔着ていた服を何度も洗ったせいで生地が傷んでしまっている。
「覚えていらっしゃったのですね」
 疲れ切った声は、昔よりも僅かに低くなっていた。
 動揺を悟られてはならないと思ったダシルワは、右手を大袈裟に顔の前で振って見せた。
「皆さんも人が悪い。私を動揺させようという魂胆だね? 確かに昔はちょっとした関係があったが、残念ながら今、この女は赤の他人だよ。再会したからといっても、別に何ということもない」
 しかし、他の三人は何も口にしない。音もなく暗い部屋の隅に佇んでいる。ジェーナだけが、ダシルワにゆっくりと近づいていた。
「あなたのことを、この方々に教えて頂いたのです。あなたが何をなさったかも……」
 やはり、低い声。過去の亡者が生き返ってきたかのように、ダシルワには感じられた。
「ほう。それで? 咎めに来たとでも言うのか? だが、お前と私はもう他人だぞ。私が何をしようと、お前には関係がないんじゃないかね」
 ジェーナは複雑そうに微笑んだ。そして更にダシルワに近づき、思わぬほど強気な眼差しで見つめてくる。一瞬、初めて見たのに、懐かしいような気分にダシルワは捕らわれた。

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