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 短い休日を終えたリーザは、再びエルス城に戻っていた。王宮のキリリと活気のある空気が、リーザの気持ちを引き締める。
 リーザは現在は若い侍女達の侍女頭及び、王子付き侍女となっている。とはいえ、王子であるエクタは元から侍女をつけておらず、基本的に身の回りのことは自分でこなす為、リシアの時のように四六時中隣にいる訳ではない。エクタが必要とする時のみ側に仕えれば良いので、実際的には話し相手、相談相手といった意味合いが強い。
 今もリーザは、若い侍女達と一緒に、城の客室の掃除をしていた。
「私、侍女ってお掃除までするとは思ってませんでしたー」
 一人が溜息をつきながら、雑巾を絞る。すると我も我もと、数名いた侍女達は無邪気に同意しはじめた。
「私もー! お掃除専門の人がいるのかと思ってました」
「他の王宮ではいるんでしょ? うちの国だけ、侍女がお食事とお洗濯以外の雑用を何でもやるのよね」
「そうそう、布団干しとか」
 リーザは苦笑して、若い侍女達をたしなめた。
「うちの王様が立派な証拠よ。使用人を必要以上に増やさないことは、王宮に必要以上のお金を使わないってことでしょう? その分、国民に豊かな生活をしてもらいたいっていうことなのだもの。それでもあなた達、王宮じゃなかったらこんなにゆっくりお仕事はできないと思うわよ?」
 侍女達は、実際その通りであることを良く知っている。顔を見合わせるなり、気まずそうに笑った。
 その顔に不満がないことを読みとってリーザはにっこりと笑うと、自ら先頭に立って再び掃除を始めた。
 と、その時、エクタがひょっこりと客室に姿を現した。
「あっ、エクタ様!」
 侍女の一人が驚いて声をあげる。金髪で蒼い瞳をした長身の王子は、侍女達にとって憧れの的である。言葉を交わして仲良くなりたいという気持ちは、侍女全員にあると言って良い。侍女達の目が一斉に輝いた。そんな侍女達の期待を裏切らない程度に彼女達一人一人に軽い挨拶をすると、エクタはリーザに視線を向けた。どうやら、リーザに用事があるらしい。
「リーザ、忙しいところ済まないね。リシアから荷物を送ってくれと手紙が来たんだ。でも、僕ではどれだかわからなくて。君に手伝って貰えると嬉しいんだけれど、今は忙しいかな」
 侍女達の目が、羨ましそうにリーザに向けられた。
 リーザは困惑気味に、若い侍女達の顔を次々に見つめた。今は仕事中だ。リシアの侍女だった頃はいざ知らず、若い侍女を導く立場にありながらここを離れて良いものかどうか、判断がつきかねる。
 だが、リーザを急き立てたのは他でもない、侍女達だった。
「何考え込んでるんですか、リーザさん。早く行かなくちゃ」
「エクタ様が困っていらっしゃるんですよぉ?」
「いいなあ、代われるものなら代わりたいですー」
 侍女達は行くことが当然と思っている。もし行かなかったら、その方が問題になってしまう位の勢いだ。内心、そのことにホッとしながら、リーザは侍女の一人に持っていた雑巾を手渡した。
「ごめんなさいね。終わったら、すぐに戻ってくるから。エクタ様、手を洗ったらすぐに伺います。リシア様のお部屋で宜しいのですか?」
「うん、それがいいね。じゃあ、僕は先に行っているから」
 リーザとエクタは部屋を出て、反対の方向へと分かれた。
 手を洗いに外の井戸へと向かいながら、リーザは少なからぬ感慨に耽った。
 リシアが結婚して、もう一年近くが経っている。初めの頃こそ自分の荷物を送ってほしい、という便りも頻繁に届いていたが、最近は生活も大分落ち着いたのだろう、そういうことも少なくなった。
(一体姫様、何を忘れられたのかしらね)
 くすりと微笑んでみる。
 リーザにとって、リシア王女……いや、現在は隣国イェルトのリシア王妃は、尊敬する主人という以上の大切な人である。可愛い妹であり、心を癒してくれる親友。そんな存在なのだ。
 彼女が一人で嫁いだ後、数ヶ月は落ち込みが激しく、何もする気力が起きなかったほどに。
 イーク王やエクタ、それに周囲の暖かい励ましがあって、リーザは現在のように元気でいられる。
 手を清めた後、リーザは急ぎ足でリシアの部屋へと向かった。
 通い慣れたリシアの部屋。南側に大きな窓のついた、こざっぱりとした部屋は、王女の使っていた部屋としては少し質素かもしれない。もしかすると、貴族の令嬢の部屋の方が、豪華かもしれない位だ。
 けれど、リーザはこの部屋が好きだった。明るい日差しが窓から一杯に入り、暖かな雰囲気に包まれている。部屋の主がいなくなっても、その雰囲気は変わっていなかった。
「お待たせしました、エクタ様。それで何をお探しなんですか?」
 エクタはリシアの小机の中をかき回している途中だった。困ったような顔をして、やってきたリーザを見つめる。
「髪留めを送ってほしいと書いてあったんだ。リシアが時折使ってた、珊瑚の。ここら辺じゃないかと思うんだけれどなあ」
「ああ、あの紅色のですね。あれなら、こちらですよ」
 リーザは勝手知ったる何とやら、衣装棚を開け、中の引き出しからあっさりと珊瑚の髪留めを取り出した。エクタが目を丸くしてから溜息をついて、小机の中を整理しはじめる。
「ありがとう、さすがリーザだね。僕じゃ本当にわからなくて。助かるよ」
 一緒に膝で立ち、小机を片づけるのを手伝いながら、リーザは思わず微笑まずにはいられなかった。リーザは、エクタのことも本当の弟のように思えてならないのだ。政治では素晴らしい手腕を発揮する青年も、こういうところでは普通の青年と何ら変わりがない。
「リシアも、君がいなくなって大分不便を感じているんじゃないかな」
 エクタがふと、蒼い目でリーザを見つめた。その目が、他に何かを言おうとしていることを無視して、リーザは首を横に振る。
「いいえ、リシア様からのお手紙には新しい侍女とも仲良くしているとありました。大丈夫ですわ」
 流れるように答えたリーザに、エクタは困ったように口元に笑みを浮かべた。
「僕が言いたいのは、君もイェルトに行きたかったんじゃないかってことなんだよ」
「ええ、わかっています」
「僕は今でも、君はイェルトに行った方が幸せなんじゃないかと時々思うんだ」
 思い切ったように切り出すエクタに、リーザも困って口を閉ざす。
 今までそのことが気にかかっていたのに違いあるまい、エクタはリーザに向かって早口で語り始めた。
「前に、リーザは自分がイェルトに行かない方がいい、っていうことを言っていたね。リシアの為であり、自分の為でもあるのだって。けれど、生意気を言うようだけれど、本当にそうなのかい? リシアの為は百歩譲ったとしても、君の為になっているのかって、僕は思う。リーザ、人のことに口を出しちゃいけないと思うけれど、今の君が心から幸せそうに僕には見えないんだ。これが他の人のことだったら口を出さないけれど、リーザは僕にとって家族と同じだから……」
「エクタ様」
 リーザは、目の前にあるエクタの額を人差し指で軽くつついた。金色の素直な髪が揺れる。澄んだ蒼い目が吃驚したように見開かれた。
「私の心配なんて、なさらなくていいのに。過ぎる心配性は、体に毒ですよ」
 あくまでも被保護者としてエクタを扱うリーザに、エクタは少々気分を害したらしい。すっくと立ち上がり腰に手を当て、覆い被さるようにリーザを上から見下ろした。見慣れているとはいえ、間近で見るその顔立ちの男らしさと端正さに、流石のリーザもドキリとする。
「心配するよ。僕には責任がある。リーザには幸せになってもらわなくちゃならないんだ」
 王子としての威厳すら感じさせる、断固とした彼の口調に、リーザが珍しく気圧される。
 エクタは今度は、懇願するように問いかけた。
「ねえ、リーザ。本当はイェルトに行きたいんじゃないかい? 正直に話してくれないか」
 エクタがここまで、リーザに対して食い下がってくることは殆ど初めてに近いことだった。それだけ、エクタはリーザのことを案じ、確信を持って彼女がイェルトへ行きたいのだと思っていると考えているのだろう。
「……無理ですわ」
 しばらくの沈黙の後に、リーザはそれだけを答えた。
 感情だけで言えば、ルイシェやリシアの、そしてセルクのいるイェルトに行きたい。だが家族のことや異国で生活することを考えると、気持ちだけではイェルトに行けないというのが、リーザの結論だった。
 エクタは少し悲しげな顔でリーザを見つめた。リーザには、この聡明な王子が、どうして自分がそう答えたのかを全て察しているように思えた。
 だから、無理をして笑って見せる。
「ルイシェ様が王になってイェルトも素晴らしい国へと変貌しつつありますわ。でも、私はやはりこの国が一番素晴らしい国だと思っています。それに、この国が私の生まれ、育った場所。私の居場所が、ここにはあります」
 エクタから視線を外し、片づけ終えた引き出しを閉める。
 それでも納得できないのだろう。エクタが、真面目な声で問いかけた。
「後悔しないと、言える?」
 リーザは一番痛いところを突かれて、俯いた。が、そのまま答える。
「……それは、何年か経ってみないと、わからないことですわ」
 小机の上に置いた、珊瑚の髪留めが、カタリと音を立てて傾いた。

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