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 エクタの問いかけた言葉は、自分の押さえつけた心の言葉と同じだ、とリーザは思う。
 本当に、後悔しないのだろうか。
 でも、今まで何度も自分に問いかけてみたのだ。そして、何度考えてもエルス国に残ることを選んだ。
 選んだ? いや、それは正しくない。何も行動を起こさなければ、自然にエルス国に残ってしまうのだから。
 けれど、時期を完全に逸してしまった。今頃イェルトにリーザが行ったとしても、周囲が困惑するだけだ。リーザがいなくてもリシアは王妃として立派に振る舞っているし、一年以上の時間は一人の男性の心を冷ますのに充分な時間だ。
 傷つきたくなかった。もし決意してイェルトに行って、リシアに必要とされていない自分を実感したら。セルクの歯牙にもかけられなかったら。
 想像するだけでこんなに辛いというのに、実際にそのような仕打ちに合ったら、いつも通りの自分でなどいられよう筈がない。
「リーザさあん、そろそろ上がりましょうよー」
 情けない声が上がって、リーザはハッと辺りを見回した。若い侍女達がくたびれきった様子で、雑巾を手にしている。部屋はこれ以上磨くところのないくらい美しくなり、窓から覗く空は、茜色に染まっていた。
「まあ、ごめんなさい。ぼんやりしていたわ。今日はもう、上がってね」
「はあい!」
 侍女達がやっと重労働から解放されて、パッと笑顔になる。
 リーザはそれを見てくすりと笑い、前掛けを外した。

 その頃、リーザの実家ロウリエン家ではとんでもない事件が起きていた。夕食の仕込みで忙しい最中、来客があったのである。
 客、と言っても、ロウリエン家にとっては見慣れた顔だ。今年三十になった、近所で八百屋を営む、若い巨漢だ。手には、高価な薔薇の花束がしっかりと握られている。
「ああ、ティド。一体どうしたんだい、その花? 八百屋で花も売るようになったのかい?」
 アーナが驚きを隠そうともせず、手を前掛けで拭き拭き出迎えた。
 ティドは首を横に振り、笑顔を見せた。
「まさか。うちは野菜で手一杯だぜ。いやね、ちょっと頼みがあってさあ。親父と女将にね」
 大声で人を呼び込む八百屋に相応しい、ガラガラとした声で快活にティドは話す。アーナに呼ばれ、ベドリスも奥から顔を出した。
「何だ、ティド。でかい図体に似合わねえ花なんか持って」
「だから頼みがあるんだって」
 ティドは机に花を置き、椅子に大きな体を押し込むと、何故かくすぐったそうに笑った。
「頼みだって? 金を貸せっていうなら、お互いの為に貸さねえぜ?」
「そうじゃねえよ。誰が薔薇抱えて金貸せって言うんでえ。金がなければ、花なんか買いやしねえって」
 下町訛りの強い言葉で、元気良くぽんぽんと喋るティドは、どこか落ち着かなさげだ。自分が今から言おうとしていることを宿屋夫婦が先に気づいてくれはしまいかという表情でしばらくアーナとベドリスを眺める。が、二人の表情にはティドの意図を察した様子は微塵もない。どうやら薔薇の花程度では気づいてもらえないらしいと気づくと、ティドは思い切った様子で喋りだした。
「ええい、面倒だから一気に言うぜ。俺も今年三十、いい年だ。そろそろ嫁が欲しい。で、そのよう……あんた方の娘と、結婚させてもらいてえんだ」
 ベドリスとアーナは顔を見合わせた。二人の頭に思い浮かんだのは、同じ娘だった。
「そりゃ、ありがたい申し込みだけどねえ……ちょっと、若すぎやしないかい?」
「はあ?」
「あの子はそりゃ、あたしらの子供だから器量はいい。けど、まだ十二歳だよ」
「そうそう。結婚は早すぎるんじゃねえかなあ」
 ベドリスとアーナが、リーザの年の離れた妹ジェイミの話をしているのだということに、ティドははっと気がついて慌てて否定した。
「違う違う! ジェイミじゃねえ!」
「じゃ、まさかホミナっ? あの子はまだ十歳だよ!」
「俺は子供を嫁にする程趣味は悪くねえよ」
「ま、まさか、もう嫁に行ってるうちの娘達を離婚させて……」
 子沢山のベドリスとアーナの脳裏を、娘達が次々とよぎる。確か、どこも娘達夫婦は円満であった筈なのだが……。
「いい加減にしろよ、このオトボケ親父にヌケ女将。俺が人様の嫁さん貰って喜ぶかいってんだ」
 ティドは余りにも察しの悪い、この宿屋夫婦にとうとう痺れを切らした。
「あんた方の総領娘を忘れちゃいねーか、って言うわけなんでえ」
 大声の後、宿屋の音は時計の音を残して全て掻き消えた。
 一秒、二秒、三秒……。
 たっぷり十五秒を回ったところで、夫婦の絶叫が響いた。
「リーザかっ!」
「ったく、この親父どもは……」
 ふてくされた様子で、ティドは机の上に足を乗せ、その足をぐいっと組んだ。日焼けしてよく分からないが、どうやら赤くなっているようだった。
 余りのショックに口をきけなくなっている夫婦と、照れる青年。無言の対話はしばらく続いていた。
「で、リーザは何て言ってる?」
 ベドリスは賢明にも、やっとそう質問した。ティドは太い首を横に回した。
「いや、まだ話してねえ。侍女になってからは、話したこともねえんじゃねえかなあ。だが、思いつきで結婚を申し込む訳じゃあねえぜ。あいつが十五くらいの頃からおりゃ、あいつが好きだった。そりゃ、付き合った女くらいはいるけどよ、リーザほどいい女はいねえってずっと思ってたぜ」
 アーナは呆然として、見慣れたベドリスの横顔を見つめた。長年連れ添った夫婦だ、ティドが言った今の話を、男としてベドリスが真剣に受け止めているのが自分のことのようにわかる。それに、ティドは悪い青年ではない。そう、顔と口ほどには性格も生活態度も悪くはないのだ。八百屋としても立派に独り立ちをしていて、雇い人を数人も抱えるほどのやり手で……。
 が、それでもアーナはベドリスが「リーザをやる」と安請け合いしてしまわないか、心配していた。
 この前ここに帰ってきた時に、リーザは言ったのだ。ちょっといいかなーって思った人がいた、と。
 アーナの子供はリーザだけではない。今まで三人の娘と二人の息子が恋愛し、結婚するのを見つめてきた。そして、自分の体験も含め、それまでの体験から、リーザがどのような心情であるかも推し量れた。
 リーザは、初めての恋をしているのだ。ベドリスはこんな年になって、と笑うかもしれない。
 だが、アーナにはそれだからこそ、リーザが真剣だということもわかっていた。リーザは、何といっても自分達の子供の中で特別しっかりしている子なのだ。
 ずっと黙りこくったままのベドリスに代わって、アーナは口を開いた。
「ねえ、ティド。厳しいようだけど、それは順番が違うんじゃないかねえ。あたしらがあんたと結婚するって言うんなら分かるよ、でもね、相手はリーザだろう? リーザと折り合いをつけてから、あたしらのところに来る方がいいんじゃないかい?」
 ティドは机に上げていた足を床に下ろし、気まずそうに小さくなった。
「そうだよなあ。俺、いっつも考えが足りねえ。そうだ、そうだよ、リーザには何にも言ってねえ」
 アーナの言葉を聞いて、ベドリスもまた宿屋の親父なりに重々しく頷いた。
「ティド。まあ、俺らに最初に断ってくれたのは嬉しいぜ。いきなりリーザを持ってかれちまうよりはな。俺らも、幾らリーザが大切とはいっても、結婚してほしくねえ訳じゃねえ。ちっと順番を間違えただけだぜ。お前さんがリーザに交際を申し込んで、リーザがそれを受け、お互いが理解し合える期間を持ってからだな、二人が最終的に結婚したいって言うんなら、俺達は歓迎する」
 ティドは立ち上がりながら、素直にうん、と頷いた。
「わかった。俺、リーザに会ってくるよ」
 そして、慣れない様子で頭を二人に下げると、考え込みながら宿屋を静かに出ていった。
 二人きりになって、ベドリスとアーナは顔を見合わせた。
「は……」
 溜息とも、笑いともつかないものがベドリスの口から漏れる。
「ティドか。ちと考えは足りなかったみてえだが、悪くねえかな? リーザ次第だがなあ」
 妻に、確認するように尋ねる。が、アーナは黙り込んでいた。
「おい、アーナ?」
 アーナは眉根に皺を寄せて考え込んでいたが、はっと夫の声に顔を上げる。
「あ、ああ。そうだね。ティドは悪くない。悪くないと思うよ。ただ……」
「ただ?」
 アーナは言葉を探した。リーザがこの話を聞いてどう思うだろうか、と考えると、少し可哀想な気がしたのだ。リーザは今も別の人に想いを寄せているらしいから。けれど、何も気づいていないベドリスに、余計なことを言って娘のプライバシーを侵害したくもない。
「リーザ次第、ってことだわね」
 結局、夫の言ったことを繰り返している自分がおかしくなって、アーナは笑った。ベドリスも、妻に同調して笑った。

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