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 エルス王城に珍客が現れたのは、次の日だった。
 薔薇の花束を抱えた、日焼けした巨漢である。全体的に大作りな顔つきであるが、目だけが意外に青くて可愛らしい。頭の上に飾りのように乗っている五分刈りの砂色の髪も、彼の全体像を怖いものだけではなく、愛嬌のある親しみのあるものにしていた。
「頼もーう」
 彼の口から発せられた、とんでもなく大きなガラガラ声に、それまで訝しげに彼を見つめていた門番達は飛び上がった。
「何事か!」
「王宮の、リーザ・ロウリエンという侍女に面会致したい。俺はティド・ジンガーだ。取り次いでもらえるか?」
 門番達は顔を見合わせた。侍女に面会に来る人間は、決して少なくはない。が、このような奇抜な形で訪れる者は少なかったのだ。
 門番の一人が、動揺を悟られないように事務的に尋ねる。
「ロウリエンとどのようなご関係でしょうか」
 ティドは胸を張って、大声で答えた。
「求婚者だ!」
 一瞬、辺りが静まり返る。余りにも大真面目なティドの様子に、笑っていいのか誰もが悩んだのだ。
「お待ち下さい。ロウリエンに取り次ぎます」
 一人が、笑いを堪えながら王宮に向かう。残りの門番達は可笑しそうに目をきらめかせながら、ティドを眺めた。
 リーザは、王宮の者なら知らぬ者とていない有名な侍女である。庶民から選ばれた、リシア姫付き侍女。王と王子の覚えもめでたく、リシア姫が他国へ嫁いでからは、若い侍女の監督をする傍ら二人の話し相手や手伝いなどもしている。無論、王宮の中で囁かれる悪意ある噂も、当然耳にしていた。
 信じるか信じないかはともかく、そのリーザの求婚者だと言うのだ。この、むくつけき大男が。面白い話題になることは間違いがなかった。
 程なく、先程リーザに取り次ぎに行った門番が、本人と共にやってきた。
 リーザはその顔に僅かな困惑の色を浮かべている。ティドはその姿を見て、眩暈を覚えた。
 深い緑色の女官服を纏い、垢抜けた化粧を施したリーザが余りにも美しく見えたのだ。
「ティド、お久しぶりね。一体、どうしたの?」
 リーザはティドが「求婚者だ」と告げたことは、門番から聞いていない。今は個人的に殆ど付き合いのない、実家の近所の青年が尋ねてきたことに、驚いていた。
「いや……ちょっと、話したいことがあって」
 先程までの大声はどこへやら、ティドは小さい声でもごもごと呟いた。花束は、リーザの姿が見えた時にさっと巨体の後ろへ隠されている。門番達は、あからさまな興味の視線を二人に向けていた。
「そう? じゃあ、場所を変えて宿舎の面会室へ行きましょうか?」
 門番を気にするリーザの言葉に頷き、ティドはリーザの後を歩き始めた。
 いつになく無口なティドに、リーザが声をかける。
「会うのは何年ぶりかしら。小さい頃は良く遊んだわよね。リノは元気?」
 ティドの姉、リノとリーザは昔とても仲が良かった。妹のいないリノはリーザを妹のように可愛がり、年上の兄弟のいないリーザもリノを姉のように慕っていたのだ。
「あ……ああ、姉貴にゃ、五人目の子ができた」
「まあ! 私がお城に来てすぐ結婚したのは知っていたけれど、五人も?」
「上四人が男で、どうしても女の子が欲しいって言ってよ。五人目で、女の子が産まれた」
「そう、良かったわね」
 眩しい笑顔を向けられ、ティドは益々無口になる。
 宿舎の面会室に二人きりになるとティドの様子は一層おかしくなった。そわそわして辺りを見回したり、かと思えば急に俯いて考え込んだりする。その頃には、リーザもティドが花束を隠し持っていることは分かっていた。だが、それが意味することは何なのか、そこまでは考えていなかった。
「それで? ティド、話したいことって何なのかしら」
 お茶を出しながら、笑顔の中に僅かな戸惑いを浮かべ、リーザは尋ねた。
「うん、いや、大したことじゃねえんだけどよう」
「言いにくいことなの?」
 ティドは落ち着き無く、無意味にズボンで手をこすった後、それまでずっと後ろ手に隠していた花束を、わさりとリーザの前に置いた。
「これ、やるよ」
「まあ! 綺麗。ティドの八百屋さんでは、お花も扱うことになったの?」
 にっこりと微笑みながら、リーザは受け取る。彼女の両親と余りにも似た反応に、普通であれば笑いたくなるところであろうが、ティドにはそんな余裕がなかった。
「い、いや、そうじゃねえ。買ってきたんだ」
「わざわざありがとう……でも、何故?」
 親と同じく、このままでは自分が何を言いたいのか永遠に気づきそうに無いと知ったティドは、腹を括った。それまでまともに見られなかったリーザの美しい瞳を、真っ直ぐに見つめる。
「あのな、リーザ。言いてえことがあるんだ」
「なあに?」
「俺の嫁になってくれ」
 単刀直入。
 リーザの頭が、袋一杯の小麦粉を詰め込まれたかのように、一瞬真っ白になった。
 リーザは、ぽかりと口を開けていたが、はっとして口を閉じた。
 しかし、どう対処してよいものやら咄嗟には思いつかず、漠然とした笑みを浮かべる。ティドが冗談なのか本気かなのかすら、リーザには分からなかった。
 その笑みに困惑が含まれていることを、鈍感でない者なら察したのだろうが、不幸にしてティドは鈍感だった。その顔がパアッと希望に輝く。
「い、いいのか?」
 嬉しそうに、何の疑いも持たずに確認するティドに、慌ててリーザは首を横に振った。
「ちょっと待って! 早とちりしちゃ駄目よ」
 途端にティドの顔が悲しそうに歪められる。まるで叱られた子供のようだ。
 リーザは、かつてティドがどんな少年だったかを思い出した。
 正義感と腕っ節は強い。が、考えが余り深くなく、思ったことをすぐに実行してしまう。回りくどい言い方は一切通用せず、単刀直入な言葉しか言えないし、理解できない。
 多分、昔とそんなに変わらないのだろう、とリーザは思い、溜息をついた。小さくなってしまったティドには、自分の率直な気持ちを伝えるしかない。
「あのね、ティド。私、確かにいい年で、結婚も考えなくちゃいけないんだけれど、結婚しようと言われて、はいそうですか、っていうのはできないタチなのよ。ティドとはいくら幼なじみだからって言っても、十年近く会ってなかった訳だし、知らない人と同然……とまではいかなくても、あなたのことを知らなすぎるわ。それに、結婚って好きな人とするものでしょう?」
 ティドは萎れていたが、最後の言葉で目を輝かせた。
「うんっ! 俺、リーザのことが好きなんだよ!」
 目をキラキラさせるティドに、リーザは冷や汗をかいた。まるで、四、五歳の子供が「好き」と言っているようなニュアンスを、その言葉の中に感じたのだ。これで結婚まで考えられたら、たまったものではない。
 どう答えたら諦めさせられるのか、リーザの頭の中がぐるぐると回った。傷つけたくはないが、生半可な言葉ではティドという男は引き下がりそうにない。
 結局、選んだ言葉は無難なものだった。
「気持ちは有り難いけれど、ちょっとだけ私のことも考えて。私はティドのこと、好きじゃないのよ。嫌いっていうんでもないけれど。結婚って大切なことだもの、片方だけの想いじゃ成り立たないでしょう?」
 ティドの顔が、一気に変わっていく。
 だが、ティドは傷ついた訳ではないようだった。両手を、パアン、と物凄い音を立てながら打ち合わせたのだ。リーザは驚いて、椅子ごと飛び上がった。
「そうかあ! さすがリーザだなあ。何て言うかよう、こう、町の女とは言うことが違うぜ。難しい言葉を使ってるわけじゃねえが、品格ってものがあらあな」
「はあ?」
 毒気を抜かれて、リーザは間抜けな声を上げてしまった。
「いや、リーザの気持ちは分かったって。俺も無理強いはしねえ。じゃあよ、まずは付き合ってみねえとな。それならいいか?」
「ちょ、ちょっと!」
 あくまでも強気のティドに、リーザは動揺を隠せないまま言った。
「駄目よ、駄目。付き合うのも同じ。お互いいいなー、と思って、そこから付き合うのが正しいでしょ?」
 ティドは訳が分からない、というようにきょとんとする。
「何でだ? まず付き合ってみねえと、いいか悪いか分からないじゃねえか」
「それでも駄目!」
 困ったように、ティドが聞き返す。
「何で駄目なんだ?」
 まるで、子供の会話だ。リーザはぐっと詰まった。どうやら今の会話からすると、生半可なことではティドを諦められそうにはない。となれば、打つ手は一つだ。
「好きな人がいるのっ。だから、ティドとは付き合えないし、結婚できないのっ」
 流石に、この一言は効いたようだった。まるで石像のように、ビシッとティドが音を立てて固まった。
 悪い、と思いながらも、リーザはその様子を見守っていた。好きな人がいるのは本当だし、ティドとは結婚を考えられないのも本当だ。
 しばらくしてから、ティドの石化がやっと解けた。
 ぐす、という音がして、リーザは驚いてティドの顔を見上げた。ティドは、その小さな目の涙を、必死にこらえていたのだ。涙をこらえるのは成功していたが、鼻水の方は駄目のようだった。つうう、と大男の鼻の下を、キラリと光る透明な液体が流れていくのが見える。リーザは悲鳴をあげた。
「わあ! ティド、鼻っ! 鼻水垂れてる!」
 ティドは顔だけは微動だにさせず、巨大な手でポケットからのろのろと体に不似合いな小さなハンカチを取り出した。そのまま鼻にあて、轟音を立てて鼻を咬む。ぎゅっと目を瞑った拍子に、そのちょっと可愛らしい目から、ぽろぽろと涙が落ちた。
 元々情が深いリーザである。それを見て、胸が痛んだ。
 好きな人は、確かにいる。けれど、望んでも遠くて会えない人だ。諦めなければならない人だ。
 こんなに自分のことを好きだという人がいるのなら。
 付き合って、彼のことを忘れてしまうのも、いいのかもしれない。
 リーザは下町娘に戻ってぶつくさ呟いた。
「もう、ほんっとしょうがないんだから。これじゃねえ、ティド、私あなたのお母さんみたいじゃない? もっと、男らしくしてよ」
 それから、勢いに乗って、言ってしまった。
「好きな人はいるけれど、片想いだし。まあ、健全なお付き合いくらいならいいわよ、ティド。だけど、私が嫌になったら、すぐに止めるっていう条件付き」
 ティドの目が、丸く、丸くなる。
 そして。
 どでかい歓喜の咆吼が侍女や衛兵の宿舎に響きわたり、中にいる人々を漏れなく飛び上がらせた。

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