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 こんなものなのかな、とリーザは思っていた。
 男性とのお付き合い、である。
 仕事の無い時間に町でティドと待ち合わせをするようになった。他愛もない話をして、食事でも取りながら何となく楽しい時間を過ごして、そのまま別れる。
 ティドはそもそも色気のある性格ではなかったし、リーザもまた然り。友達以上の進展がある訳でもなかった。
 それでも、もしかしたら結婚相手はこんな感じの方がいいのかもしれない、とリーザは次第に思い始めていた。同じ町で生まれたから共通の話題は多いし、お互い地が知れているから気を遣うこともない。それに何と言っても、ティドは「いい人」だ。
「何でぇ、まじまじと俺の顔見て。とうとう惚れたか?」
 非常に嬉しげなティドの言葉に、リーザは悪い、と思いつつ吹き出した。
「ごめん、笑うつもりじゃなかったのよ。でも、何かティドに惚れた腫れたっていうの、どうもピンと来ないのよね。一緒にいて楽しいけどね」
 ふうん、とティドは砂色の頭をボリボリと掻く。
「俺にゃ、難しい事ぁよくわかんねーけど。楽しいなら、いいか」
「……今のどこが難しかったの?」
 リーザが呆れると、ティドが胸を張って答えた。
「言葉の裏の、リーザの気持ちってやつよ。それが、難しい」
 思いもかけず真っ当な、哲学にすら通ずるような答えに、リーザは目を見張った。
「今、凄くいいこと言ったわ、ティド」
「そうか? それもわかんねーや」
 困ったようにティドは首を傾ける。リーザはそれを見て、弾けるように笑った。
 しかし、笑った後に僅かな心の痛みを感じる。
 こんな時でさえ、別の男性の姿が心に浮かんでいる。
 隣に歩いているのが、彼だったらどんなにいいだろう、と。笑いを交わすのが、彼だったらどんなにいいだろう、と。
 ティドとの楽しい時間の後に感じるのは、いつも罪悪感と、僅かな虚しさだ。
 ティドは、とてもいい人だ。そう、とても。けれど、今日も恋愛対象としては見られない。あんなに素晴らしい言葉を聞いたというのに。
 結婚相手にはいいと思うが、恋愛相手ではない。
 そう考えている自分が、酷く打算的な人間に思えた。
 リーザは、ティドにはわからないほど小さく、溜息をついた。

 イェルト王妃、リシアはその日、仕事も手に着かないほど悩み込んでいた。
 王妃が座る大きな椅子に深く腰を下ろし、両手を組み合わせたままピクリとも動かない。
 彼女の目の前には、エルス国から届けられた手紙が二通。蝋封は剥がされ、彼女がその二通を既に読んだことを表していた。夫であるルイシェは、彼女の様子をしばらくじっと眺めていたが、このままでは仕事を手伝ってはもらえそうにないことに気づくと、彼女の悩みを解決することからはじめなければならない、と考え方を変更することにした。
「その手紙、エルス国から?」
「ええ、そうなの。兄様と、リーザから」
「どうしたの? いつもなら、もっと喜んでいる筈だけれど。何か、向こうで不都合でもあったんじゃないだろうね」
 気遣うような口調に、リシアは夫の顔を見上げた。少し、困ったような顔をしている。
「ううん、不都合じゃないの。不都合じゃないんだけれど、不都合なの」
 要領を得ない言葉に、ルイシェは重ねて訊く。
「僕に話せることなのであれば、話してくれないか? エクタのこと? リーザのこと?」
 手紙が二人からきたものであろうことは、リシアの態度を見ていればルイシェには良くわかる。
 いつもだったら、ルイシェが不安に思うほど嬉しそうに内容を話すリシアなのに、今日に限っては全く内容に関して口を開こうとしない。ということは、かなり私的な内容であるのかもしれない。話すことはできないかもしれないな、と思いながらも、ルイシェは妻の様子を見守った。
 リシアはルイシェの目を見つめて、しばらく考え込んだ。
 ルイシェは辛抱強く待った。できれば、リシアが悩んでいるどんなことであれ、力になりたい。
 その思いが通じたのだろうか、リシアは「ルイシェなら大丈夫よね」と小さく呟き、手紙を受け取ってから初めて、ルイシェにその蒼い瞳を向けた。それから重々しく、手紙の内容を告げる。
「リーザがね、男の人と付き合いはじめたんですって」
 今までの真剣に悩む表情からは予想もつかなかった返答に、ルイシェは虚を突かれ、言葉を失った。幸いリシアはそのことに気づかず、話を進めている。
「成り行きで付き合い始めたけど、相手のことを好きになれるかどうかはわからない、とも。悪い相手じゃなさそうではあるんだけど。それで、同時に届いた兄様からの手紙には、リーザのことを心配している内容が書かれてたの。リーザは本当はイェルトに行きたい筈だって、兄様は確信してるみたい。けど、兄様はリーザが男の人とお付き合いしてることは、知らないようなの」
 ここまで話を聞いてやっと、ルイシェはリシアが何に悩んでいるのか、理解しはじめた。だが、口出しをせず、続きを促す。
 リシアはルイシェに、澄んだ蒼い瞳を向けた。
「ルイシェ、リーザは幸せなのかしら? 私、とても心配なのよ」
 心から侍女を心配するリシアを、ルイシェは愛おしく眺めた。
「幸せかどうかは、自分自身でなければ分からないものだよ。エクタも君も心配する理由は、分かっているけれど」
 ルイシェが口にした言葉に、リシアが反応する。
「じゃ、やっぱりルイシェも本当は気づいてたのね? セルクとリーザの仲良さは、絶対普通じゃなかったって」
 ずばりと切り込まれ、ルイシェもとぼける訳にはいかなくなった。
「うん、まあね。他人のとやかく言うことじゃないと思って、知らないふりをしていた」
「やっぱり。ルイシェらしいといえば、らしいけど」
 くすりと笑って、リシアがルイシェの側まで、椅子を移動させる。内緒話の距離だ。
「私の結婚以来、セルクが元気がないってルイシェが言ったでしょ? 私が原因じゃないとすれば、それって絶対リーザが原因だと思うの。違うかしら?」
 急に生き生きとしだしたリシアの勢いに押され、ルイシェもつい答える。
「それは、間違いないと思うよ。イルマから持ってこられた結婚話も、全部断っているし」
「まあ! そんなことが?」
 リシアは気を揉むように、ルイシェの艶やかな黒髪をいじりだした。
「セルクもリーザもお互い好き合ってたのよね。そして、セルクは今でもリーザが好きなんだわ。リーザは、きっとセルクを忘れる為に、男の人と付き合ってる。ねえ、どう思う?」
 ルイシェは黙り込んだ。リシアの言うとおりではあるのかもしれない。しかし、それこそ他人のとやかく言う問題ではない。簡単に同意ができなかった。
 そんなルイシェを見て、リシアがうなだれる。
「ごめんね。答えられないわよね。私も、勝手な憶測をどんどん進めちゃいけないって、分かってるの。分かってるけれど、何だか納得がいかなくて。それで、ついつい自分が思うとおりになればいいなって、そういう方向に話を向けちゃった」
 元の席に戻りながら、リシアは溜息をついた。
「こんな時、イェルトとエルスの距離がもっと近ければいいのに、と思うわ。自分の目で見て、リーザが幸せそうだったら、納得できるのに」
 蒼い目は、遠くエルス国を見つめるかのように、虚空に向けられている。
 ルイシェは、訊かずにはいられなかった。
「一度帰る? エルス国に」
 思わぬ夫の言葉に、リシアがルイシェを凝視した。しかし、すぐに頬に笑みが浮かぶ。
「自分の満足の為に、王妃である私が行くことはできないわ」
 それから、自分の言葉で諦めたようにリシアは両腕を高く上げた。
「リーザが困って呼んでいるならともかく、まだその段階じゃないってことが分かったわ。しばらく、静観していろってことなのね。ルイシェは、正しいわ」
 ルイシェは、静かな微笑みをリシアに向けた。

 リーザに恋人ができた、という話題は、一週間もするとエルス国王城内に広まった。その噂は、とことん恋愛方面に疎いエクタに耳にまで届く程になっていた。
「いいんじゃないの? 本人も否定してないんだろ? 大体ね、あれだけ綺麗な子なんだから、今まで一人だった方が変なんだよ」
 仕事の手伝いに来ていたテイルが、心配顔のエクタを笑い飛ばす。
「お前が言いたいことも分からないじゃない。けど、人の気持ちって変わるもんだろ? 彼女、前向きだと思うぜ」
「そう……なのかな?」
 テイルの言葉に、エクタが首を傾ける。
「そうそう。例えどんなに好きな男がいたとしても、結ばれないと感じたら、近くの現実に目を向けた方がいいこともあるのさ。特に、結婚を考えているならね」
 僅かに、テイルの声に真剣さが籠もった。エクタは従兄の顔を見つめた。
「もしかして、そんな経験があるのか?」
 遠慮のない問いに、テイルがにやりと笑う。
「無いとは言わないさ」
 匂わせられて、エクタは心から驚いた。テイルが真面目一辺倒とは思っていないものの、かといって今まで艶めいた話を、本人の口からも他人の口からも聞いたことがない。
 口もきけないでいるエクタを見て、テイルが少し傷ついた顔をした。
「お前なあ、そこまで普通驚くかな?」
「いや、ありえなくはないんだろうけど、ちょっと意外だったから……」
「意外って何だよ」
「テイルって、恋愛上手そうに見えて、実は奥手だと思ってた」
 唖然としながらも、きっぱりと断言する。テイルの顔が、ひくひくと痙攣を起こした。ここにセリスがいなかったことを、心から喜んでいるに違いない。
「そ、それよりもだ。リーザの選んだことだ、お前がどうのこうの言う問題じゃない」
 無理矢理話を元に戻し、テイルは年上風を吹かせた。
「そういうことにしておくよ」
 エクタはチラリと微笑んで、再び考え込んだ。
 テイルの言うことも、一理あると思う。だが、エクタには一抹の不安があった。
 リーザの様子である。
 本来であれば、そのような男性が現れたのならば、生き生きとして楽しそうになるのではないか、と思う。けれど、エクタの目に、リーザはそう映ってはいなかった。
 城の中で、彼女は前より楽しそうにしていた。が、時折ふと表情が変わる。リシアがいなくなった頃見せていたものとは質の違う、諦めの混じった空虚な表情。城の中で一番仲の近いエクタだからこそ、気づいてしまうものかもしれなかい。
 だからといって、問題は恋愛という、他人には口の挟めない問題だ。今は黙って見守るしかないのかもしれない。
 エクタはテイルには分からぬよう、静かに溜息をついた。

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