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 物凄い歓声が、広場を包んでいた。空気が揺れ、地面が揺れている。
 歓声を聞いて戻ってきた人々、新たに集まった人々。広場に入りきらず、周囲の道路にも人は溢れている。建物の窓も、興奮に満ちた顔が鈴なりだった。人々の身体から立ち上った熱気が、冷たい冬の空気をゆらゆらと歪ませている。
「謎の挑戦者と、異国の戦士!」
 耳がおかしくなりそうな程の歓声に負けないように、バンスが短く二人を紹介する。だが、その紹介も、誰も聞いていなかった。
 体格的には、二人は五分に見えた。背の高い青年は若く伸びやかな手足を持っていたし、セルクは身長こそ及ばないが成熟した男の体つきをしている。
 異様な雰囲気の中、お互いに視線を交わさずに、セルクとエクタは向かい合った。バンスが右手を高く挙げている。これを振り下ろせば、戦いは始まるのだ。
 リーザは居たたまれない気持ちになって、二人の間に入ろうと腰を浮かしかけた。それを、背後から強く低い声が止める。
「おいおい、男二人が君の為に戦おうと言うんだ。水を差すのはどうかな」
 いつの間にだろうか。粗末な服を身に纏ったテイルが、リーザの席のすぐ後ろに来ていた。側には見事に目立つ外見を隠しきったセリスもいる。
「やりたい奴にはやらせときゃいいんだって。そうしなきゃ、気が済まねーんだろうし」
 リーザは思わず小声で抗議した。
「あの剣は本物の鋼でしょう? 当たればどちらかが怪我をしてしまいますわ」
「確かに。だが、手足の骨折までだったら、俺は止めないよ。二人ともそれくらいは覚悟しているだろうし。勿論大怪我しそうなのを、手をこまねいて見ているつもりもないけれどね」
 安心できるような、不安を増すような、微妙なテイルの言葉である。それでも、何の保証もないよりは余程ましだった。テイルとセリスがいれば、いつも何とかなっているという気持ちもある。リーザは両手を握り合わせて、舞台に立つセルクとエクタを見つめた。
「それでは……開始!」
 衆人の注目の中、二人の間に入っていたバンスが、右手を下ろし、後ろに飛び退いた。
 だが、その派手な演出にも関わらず、エクタもセルクも動かなかった。
 エクタはお手本のような完璧な構えで、剣を握っている。セルクは右手に剣を持ち、来い、と言わんばかりに盾を大きく前に出している。
 一分近く経っても、二人の位置は変わらない。集まった人々が徐々に困惑の声を漏らし、リーザも不安に思い始めた頃、テイルがリーザとセリスにだけ聞こえるほどの声で解説を始めた。
「体勢は変わっていないように見えるかもしれないが、そうじゃない。お互い隙を見つけようとして、ごく僅かにではあるけれど動いている。多分、エクタが仕掛ける」
 言い終わらないうちだった。
 エクタが、動いた。剣が最小限の動きで突き出される。セルクは最初からそうしようと思っていたのか、盾で剣を受け止めて、己の剣を繰り出した。
 だが、その剣は、盾で受け止めた筈のエクタの剣に、激しい音を立ててぶつかっていた。エクタの動きが、予測外に早いのだ。
「なかなかやるじゃねえか」
 セリスの声を、わっと上がった歓声が掻き消す。
 そのまま、剣戟の音が続く。目にも留まらぬ、ということはこのことであろう。リーザには、エクタが大きく振り下ろしたのをセルクが払いのけただけに見えるのに、テイルの解説はこうだった。
「今のエクタの強打は、細かい二回のフェイントの後。払うセルクの剣はそれを見事に見切って受け止めている。ついでに最後に払う際に捻りを入れて、エクタの手首に力がかかるようにしたな。だがエクタはそれに気づいて、力のかかった瞬間、セルクから離れて力を逸らした」
 聞こえはしなかったもの、当然、このことは戦っている二人には良く分かっていることだった。
(確実に強くなっている)
 セルクは剣を握りなおしながら、感嘆と焦りの入り交じったの思いを浮かべていた。去年までは、構えにも太刀筋にもどこか甘さがあったエクタ。去年ならば、最後の撚りで手首に痛みを覚えさせることくらいはできた筈だ。
(手抜きはできない、か)
 覚悟を決めて、セルクは軽く膝を曲げ、腰を落とした。エクタがハッとして、盾を構える。
 下から突き上げるように、セルクの盾がエクタの盾にぶつかった。衝撃で、たまらずエクタが爪先立ちになる。バランスを崩したエクタに、セルクの剣が襲いかかった。
 ガキィン!
 エクタが剣の根本で、上段から返してきたセルクの剣を受け止める。浮きかけていた足は既に地上にしっかりと着いていた。が、圧倒的に不利な体勢になっている。
(強い……!)
 エクタは痺れる手に必死に力を込めながら、思った。
 こういう動きで来る、と分かっていながらも、予想外に強い力に身体が浮いたのだ。普段からセルクは油断をしない鋭さを感じさせる動きだったが、それが伊達ではなかったことを痛感する。
 剣を受けたまま動きを止めたエクタに、セルクは更に追い打ちをかけた。盾でも力を加え始めたのだ。エクタの足が、ぶるぶると痙攣する。
「強いな。決まったかな?」
 テイルの言葉を、リーザは絶望的な気持ちで聞いていた。額に血管を浮かせ、見る間に紅潮していくエクタの顔を見つめる。それから、自分の為に非情に徹して、力を加え続けるセルクを。
 どちらも応援できず、ただ見ることしかできない。
 エクタが負けるのか、と思ったその瞬間、二人が飛びすさって大きく間を取ったのが見えた。沸き上がる歓声。何が起こったのか分からず、テイルの解説を待つ。
「ラッキーだったな。剣が、刃の上で滑った。エクタがこれ幸いと逃げて、セルクの方は……あのまま力を加えれば大怪我になると見て、退いたか。ルイシェに稽古をつけるのと同じ気分でいるのかな」
 リーザは息を大きく吐いた。それまで息を止めていたことにも気づかなかった。セルクがまだ冷静でいるのが、嬉しかった。
 胸を大きく上下させて、エクタが構えた。剣を持った右腕が、限界以上の力を使ったことで細かく震えている。一方のセルクの方は、疲れを顔にも表情にも出さない。ただ、流れ始めた汗だけが、そう楽な戦いでないことを示していた。
 エクタが仕掛ける。誘うような動きを見せてから、鋭く斬りつける。
「ああ、あれは俺の技だなあ。セルクも初めて見るんじゃないか?」
 楽しげにテイルが解説する。その通りのようだった。先程まで圧倒的な有利に立っていた筈のセルクが防戦一方になり、みるみる後退していく。
 だが、セルクの学習は早かった。舞台の端に追い詰められる前に、エクタの剣の先を捕らえた。エクタの流れるような動きが止まり、その隙を見てセルクの剣が舞う。ぎりぎりのところで、エクタが切っ先を躱した。
「てめーの技も大したことねーな」
 セリスがテイルに向かって茶々を入れる。
「俺だったらあんなことにはならないって。あれは一、二度牽制に使って、相手の目を惑わせた後に大きな攻撃をするの。何度も繰り返したら、セルク程の剣士に見破られるのは当たり前だ」
 悪友同士がじゃれている間にも、セルクとエクタの戦いは目まぐるしく攻防が入れ替わっていた。
 セルクが三、四度打ち込むのをエクタが最後に盾で止めて、攻勢に回る。セルクはそのエクタの剣を全て剣先で受け、弾き返す。
 剣が、ようやく中天に差し掛かった冬の陽を反射し、時折目映く観客の目を射る。
 二人が剣を交わす様は、舞いのように美しかった。いずれは決着がつくものだが、いつまでもその動きを見ていたいと思わせる。リーザを除いては。
 時間が、あっと言う間に過ぎていく。戦う二人の動きはいよいよ激しくなってきていた。僅かに露出した手と、空気に晒された顔からは、動く度に汗が飛び散っている。
 全体的な試合の流れから見れば、セルクが優勢に見えた。決まるか、と何度か人々も息を呑んだ。が、決定打を受けるかと思われるその刹那、エクタが必ず身を翻して危機を逃れる。
 今も同じ展開になっていた。セルクの鋭い剣が、とうとうエクタの服の袖を切り裂く。だが、エクタ自身は怪我もなく、剣の届く範囲から飛び退いていた。おお、と大きなどよめきが起きる。
 打々発止とやり合う二人も、お互い効果的な一撃を与えられないことに焦れはじめていた。
 先程から何度も自分の体勢に持ち込みながらも、擦り抜けられているセルクは、エクタのしぶとさに舌を巻いていた。時間が長引けば長引くほど、エクタの動きは粘りを増している。試合が始まってからも、できれば怪我をさせずに、と思っていた。だが、それが至難の技であるということが、セルクにも分かり始めていた。
 何度も危機に晒されているエクタの方も、このままではいつか負けることを自覚していた。セルクには大きく攻め込ませる隙がない。体力的にもセルクの方が勝っている。次第に強くなる、負けたくないという精神力だけで何とか刃を避けてきた。ただ一つ勝機に繋がるものがあるとすれば、相手の動きに目と身体が慣れてきた、ということであるが、これはセルクも同じことであろう。
 周囲から巻き起こる声援も二手に分かれていた。強さを見せるセルクを応援する者、判官贔屓でエクタを応援する者。共通してその場にいる誰もが感じていたのは、差は大きくないものの、セルクの方が強い、ということであった。
「戦ってみたいね。エクタが負けたら、次に俺が出るかな」
 戦いの様子を見つめていたテイルが、ぽつりと漏らす。ぎょっとして、リーザは振り向いてちらりとテイルを見た。
「冗談だよ。こんな消耗する戦いの後に戦って、もし勝ったとしても何の名誉にもならない。だけど、セルクがこんなに強いとは思ってもいなかった。イェルトでも屈指だろうな。剣で名を鳴らしたイェルトの軍団長メルハも、今は年老いたと聞くし」
 声は笑いを含んでいたが、とても冗談には聞こえなかった。リーザは胸の中の痛みと戦った。
 今のテイルの一言で、分かったことがあった。エクタがセルクに戦いを挑んだのは、自分をセルクに渡したくなかったからではない。そういう気持ちも全くなかったとは言えないかもしれないが、エクタが望んだのはセルクとの対決そのものだ。
 セルクは強い。それは、この国一の剣士であるテイルが見てもそう思えるものらしい。その強さは、これからも剣に興味を持つ男達を引き寄せるだろう。リーザが知らないだけで、これまでもそうだったのかもしれない。
 セルクと共に過ごすということは、このような戦いを常に覚悟しなければいけないということなのだ。今は、親しい二人が戦う辛さこそあれ、命までは賭けてはいない。しかし、今後は命を賭けた戦いも、可能性が否定できない。セルクを失うかもしれない。
 それでも、とリーザは思った。
 生涯でたった一人、心から愛することのできる男性はセルクだけだろう。今、彼を諦めれば、一生後悔する。
 だから、この戦いを最後まで見届けなければならない。そして、セルクが勝とうが負けようが、腕に飛び込まなければならない。一生を彼に捧げる証として。
 リーザは、大きく息を吸って、背を伸ばし座り直した。
 まるでそれを待っていたかのように、一際大きな歓声がわあっと巻き起こった。
「決まった」
 テイルとセリスが、上擦り気味の声を上げる。
 リーザは、目の前にした光景を一生忘れることができないだろう、と思った。

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