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 踏み固められた土の道が段々広くなり、そのうちに馬車の轍が多くなる。そして道が武骨な敷石に覆われた頃、やっとイェルトの首都イェルティの姿が見えてきた。
「久しぶりだわ」
 リーザは強い風に髪をなぶられながら、懐かしい新天地を眺めた。
 砂のベールをかぶった街では、家々が耐えるように身を寄せ合っている。だが、リーザの目はそこに陰鬱なものだけではないものを映し出していた。
「この前来た時よりも、家が増えているかしら? それに、お店も。道も綺麗になっているみたい」
 鋭いリーザの観察力に感心しながら、セルクは頷いた。
「そうだよ。ルイシェ様が国際的に働きかけた結果、緊張していた幾つかの前線が無くなってね。そこに詰めていた兵達が戻っているんだ。手が空いた兵は、街の土木作業や建築作業を行うことで給料を得ている。最初こそルイシェ様が平和路線を取ったことに批判的だった街の一部の人間も、最近はこの方式が悪くないと気づいたようだ」
「この分だと、イェルティの道に人が溢れるのも時間の問題ね」
「そう。俺もこうしてあなたを連れてきてしまったことだし」 
 仲睦まじい二人を乗せた馬は、ネ・エルスに比べると大分淋しい大通りを通り抜けた。ここも今こそ人が少ないが、数年が経てば大きな賑わいを見せるイェルティの名所となるのだろう。それを示すかのように木材を担いだ若い男が二人、馬の側を通っていった。
 大通りから目抜き通りへと馬は進む。城が近づくにつれて、セルクとリーザに緊張の色が濃くなってきた。
「私……姫様にお会いできるのかしら」
 リーザがぽつりと不安を口にする。
「なぜ?」
「だって、私はもう一般の人間よ。王宮に入ること自体が認められないのではないかしら……」
 急に弱気な態度を見せたリーザの身体を、セルクは安心させるように後ろから右腕でぎゅっと抱き締めた。
「あなたは俺の妻になる人だ。王の侍従が、婚約者を紹介するのは何の不思議でもないよ。大体、あなたを連れて来なかったとリシア様に責められるのは、俺はごめんだよ」
 愛しさのこもった仕草と言葉に、リーザは目を潤ませた。セルクがこうして気を遣ってくれるのが夢のようだ。こんなにうまく行くはずがない、と不安になるほどに。リーザは緊張に汗ばみ始めた手を、ぎゅっと握り合わせた。
 イェルトの王城は、リーザが最後に訪れた一年前と変わらず、武骨な外観を誇っていた。天然の川を堀に持つ、重々しい城。二人は馬に乗ったまま、屈強な衛兵が守る跳ね橋を通り抜けた。流石に王の側近であるセルクを止める者はいない。側にいるリーザも、王妃の元侍女であることを覚えていたものがおり、丁重な態度で通された。
 門を通ると、前庭が一望できる。前に見られた不似合いな彫刻は撤去され、代わりに新しい女主人の好みなのだろう、根付いたばかりの草花が強い風の中で千切れそうに揺れていた。
 前庭の道を抜け、ようやく城の玄関が見えてくる。今朝、王や王妃に会うのに相応しい格好に着替え、砂よけのローブをかぶったとはいえ、リーザは知らず僅かな服の乱れを整えていた。
 イェルト王宮の玄関をくぐり抜けるのは、特別な緊張がある。一時王宮に世話になっていたことがあったにしても、だ。
 だが、ここでもリーザは新王と新王妃の影響力を知らされた。
 まず、玄関に陣取っていた武装兵が数を大幅に減らしていた。装備も人に威圧感を覚えさせないよう、デザインを変えてある。
 内観も多少変わっていた。金糸で縫い取りのされた緋色の絨毯、天井のシャンデリアこそ変わらないが、彫刻や絵画が最低限のものを残して取り除かれている。悪趣味としか言い様の無かった状態からすれば、かなりの進歩である。
 武装兵の態度も、前とは違っていた。セルクとリーザを見るなり笑顔さえ浮かぶ。
「セルク殿、休暇はどうであった? そちらの淑女は、リシア様の侍女をなさっていた方とお見受けするが」
「ええ、この人はエルス国のリーザ・ロウリエン殿ですよ。事情がありまして、連れて参りました。休暇は、はしゃぎすぎてこの有様です」
 セルクは骨折した左腕を指さし、笑ってみせた。
「冷静なセルク殿がはしゃぐ様を、我が輩も拝見したかった」
 腕組みをして大らかに笑う武装兵を見て、リーザは内心驚いていた。この武装兵には見覚えがある。リシア達と共にこの城に乗り込んだ時、そして去年の結婚式。いずれの時も、笑顔など想像もできないような硬い表情をしていた筈だ。
 街よりも城よりも、一番変わったのは人の心だとリーザが感じた瞬間である。
「私の留守の間、何か変わったことはありませんでしたか?」
 セルクが世間話でもする調子で尋ねると、武装兵の表情が変わった。
「うむ。表だったところでは変わっていないが……妃殿下が、最近こちらにお見えにならないのだ。体調が余りよろしくないという噂を聞いた。王も物思いに耽っておることが多くなられた」
 喜ばしいとは言えない報告に、リーザは思わずセルクの袖を掴んだ。セルクは目線でリーザを宥める。
「だが、侍女殿がエルス国からいらしたとなれば、リシア様もすぐに元気を取り戻されるであろう。実際、あのお方がいないとこの宮殿は何か物足りぬ。早くお元気になって頂きたいものだ」
「全くですね。それで、王は?」
「執務室におられる」
 武装兵はそう言うと、廊下を指さした。セルクとリーザは礼を言い、すぐそちらに歩き出した。
「姫様が、ご病気?」
 声が届かないくらい離れると、リーザは居ても立ってもいられない様子で尋ねた。
「最近のことだろう。確かに俺がここを発つ前、元気が余りおありではなかったが……」
 答えながら、セルクは心の中に違和感を覚えていた。
 その理由はすぐに分かった。リシアがイェルトに来て、すぐのこと。慣れないイェルトの乾燥した空気でリシアが喉を痛めたことがあった。症状は軽く、微熱程度であったにも関わらず、ルイシェは大事を取って休むリシアのベッドの側を離れることがなかった。必要な書類をリシアの部屋に持ち込み、側で看病をしながら仕事をしていた。リシアと一瞬でも離れることなどできない、というかのように。
 あの二人はいつも一緒にいた。仕事の時も、それ以外の時も。
 何かあった、とセルクは察知した。自分が二度エルス国に向かった、その間に。
「ルイシェ様にリシア様のご様子を伺おう」
 不安そうなリーザの肩を優しく叩く。リーザは小さく頷いた。
 王の執務室は、宮殿の右翼にある。執務室の前には、二人の衛兵が立っている。少ないようであるが、隣の小部屋には更に数名の衛兵が待機をしている。
 衛兵はきびきびとした動きで軽く踵を合わせ、セルクに敬礼をした。
「ルイシェ王、セルク殿がお客人を連れてお見えです!」
 中にいるルイシェに聞こえるように大声を出し、扉を開ける。
 セルクとリーザは並んで執務室に入り、頭を下げた。
「ただいま戻りました」
 セルクが短く帰城を告げる。
「お帰り。顔をお上げ。リーザも一緒だね」
 セルクはその声を聞いて、予測が確信へと変わるのを感じた。聞き慣れたルイシェの声が、いつもと比べて明らかに低く、沈んでいる。
 顔を上げてから、セルクは驚きで言葉を失った。たった半月ほど会わなかっただけだというのに、ルイシェは明らかに痩せ、黒い瞳が強い憂いを宿している。
「お久しぶりでございます、ルイシェ様」
 リーザもまた、顔を上げて何度か瞬いた。結婚式の頃に比べて大人びた、という感想よりも先に、明元気を失った顔色の良くない顔に驚いたのだ。病気なのはルイシェの方なのではないかと疑いを持つくらいである。
「君達にはお祝いを言わなければならないね。おめでとう」
 ルイシェのどこかぎこちない笑顔が、二人を落ち着かない気分にさせる。
「ありがとうございます。落ち着いたら籍を入れるつもりでおります。ところで、リシア様は……」
 セルクが切り出すと、ルイシェは痛いところを突かれたように笑顔を凍らせた。その目が、ゆっくりと下を向く。
「そうだね。君達に気づかれない訳がない。僕はどうやら、リシアに愛想を尽かされたらしい」
「まさか!」
 叫んだのは、全く同時だった。リーザとセルクは思わず互いの顔を見合わせた。そんな二人の様子を少し羨ましそうに見ながら、ルイシェは力無く言った。
「ここしばらく、リシアは自室に殆どこもりきりだ。食事の時間だけ顔を合わせるが、会話も殆どない。僕の至らなさだ」
「そんなことあるはずが……」
「いや、そうなんだよ。セルクは良く分かっていると思う。リシアはこの国を良くしようと、色々な改善案を出してくれた。しかし僕はそれを受け流した。当然、リシアは政治の話を避けるようになって、ふさぎがちになった。なのに僕は気分を浮き立たせるような話一つできない。愛想を尽かされて当然だ」
 ただひたすら己を責め、唇を噛むルイシェの姿に、セルクとリーザは呆然とした。
「ルイシェ様、私、リシア様のところに行ってもよろしいでしょうか?」
 少しして、心を決めたリーザは打ちひしがれているルイシェに、申し出た。ルイシェが物憂げに目を上げる。
「君が行くのなら、リシアは喜ぶだろう。是非行ってくれないか」
 口ではそう言っているが、結局自己解決できないのかという無力感も仄見える。
「ありがとうございます。あの、ルイシェ様」
 リーザは年下の弟に言い含むように語りかけた。
「姫様がルイシェ様を好きではなくなるなんて、ありえませんわ。きっと姫様もどうしていいのか分からないでいると思うのです。お二人で良く話し合いをなさいませ。私はその場を作る為に姫様のところに参るだけです。無理にお二人を取り持とうなどとは考えておりませんの。お二人にとって、根本的な解決にはなりませんから」
 打ちひしがれているルイシェに近づき、リーザはその腕を勇気づけるように軽く叩いた。
「ご自分をお責めになりすぎないでくださいませ。姫様はそのお姿をご覧になって、ご自分をお責めになる……悪循環にしかなりません。それでは、私は失礼いたします。久しぶりにお会いできて、嬉しゅうございましたわ」
 そしてリーザは、セルクに目で合図を送ると、悩める王の執務室を後にした。
 ぱたん、と扉が閉まると、部屋に残ったルイシェは救いを求めるかのように尋ねた。
「彼女が言っていることは正しいのだろうか。僕が悩むことが、リシアを苦しめているのか?」
 それまで無言でいたセルクは、ルイシェが初めて見る、この上なく暖かな微笑みを向けた。
「リーザさんの言うことに間違いはありませんよ。もしこの私がルイシェ様のようなお立場になったとして、リーザさんに悲しい顔をさせたなら、私は自分の頬を叩いて気持ちを入れ替えます。愛する女性とは、自分を映す鏡とも思うことがあります。己が悩む時は悩み、己が嬉しい時は一緒に嬉しがってくれる。愛する人が笑顔でいるならば、自分も笑顔でいられると、そう思っています」
 こういう分野でセルクがこんなに説得力のあることを言うのは、初めてだった。ルイシェはまじまじとセルクの姿を見直す。その視線に、セルクは居心地悪そうに付け加えた。
「その……ルイシェ様はそのようなことをもうご存知でしょうが。私はつい最近気づいたばかりでして。その発見が、とても嬉しかったものですから」
 素直な反応に、ルイシェの頬にやっと心からの笑みが浮かんだ。とても小さな笑みではあったが。
「そうだね。鏡……。その通りだと思う。ありがとう、僕はいつの間にか、初心を忘れていたようだ」
 ルイシェは呟いてから、やおら自分の頬をパン、と音を立てて叩いた。驚いたセルクに向かって、少しだけ清々とした顔を見せる。
「気が引き締まった。君も君の妻になる人も、僕達夫婦にとってはかけがえの無い人だな」
 妻、という言葉に反応し、硬直したセルクに、ルイシェはまた小さな笑みを浮かべた。
「落ち着いたら籍を入れると言っていたが、結婚式はちゃんと行ってもらうよ。王家でじきじきに取り計らわせてもらうことになっている。あとは日取りを決定するだけだ。随分根回しをしたのだから、断らないだろうね」
「お、王家で取り計らいの結婚式? ですが、私とリーザさんはそんな……」
「お前は僕の乳兄弟であり、一番の従者でもあると誰もが認めている。私にも面目というのがあるのだ」
 最後だけ王の顔で「私」と強く言うルイシェ。セルクは、溜息をついた。
「それは……いえ、分かりました。リーザさんと相談します」
「そうだな。彼女を納得させたら、私のところにくるように。それと、妃はまだこのことを知らない。私の口から伝えたい。口を閉ざすように」
 ルイシェは重々しく言い渡した。
 やれやれ、とセルクは内心で呟いた。内緒にしている辺り、結局リシアを喜ばせるためにリーザと自分の結婚式を企画したようにしか思えなかったのだ。王の乳兄弟であり、従者ではあるといっても、平民で無位無冠の自分が王家の取り計らいで結婚式を挙げるためには、どれほどの抵抗があったことか。また、式を挙げた後もどれほどの障害が予想されることか。
 それでもいいかと思える自分も、相当にルイシェに対して甘い。セルクは大きな溜息を一つ、これみよがしについてみせた。

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